Paul Reynaud
フランスの政治家。フランス第三共和制の首相。
生没年1878年10月15日 - 1966年9月21日。
首相在任1940年3月21日 - 1940年6月16日。
ソルボンヌ大学法学部卒業。1919年に下院議員に当選後、中道右派の民主共和同盟(Democratic Republican Alliance)に属し、政治活動を行う。
対独強硬の姿勢を早くから見せ、1940年に首相になってからは、第2次世界大戦初期の対独戦の敗色が濃厚になっても徹底抗戦の姿勢を見せていた。しかしペタンらの対独融和派に押されて6月16日に辞職、6月22日にはペタンの命令によって拘禁され、フランスがドイツに降伏して以後、ドイツの収容所に送られた。
1945年5月7日に移送されていたオーストリアで、連合軍によって解放。
戦後、再び政治家となり、要職を歴任した。