Hatena Blog Tags

レガシィ

(一般)
れがしぃ

富士重工業(スバル)の主幹となる乗用車。ボディバリエーションはワゴンとセダン。

初代(BC/BF型。以下、型式名は「セダン/ワゴン」)レガシィは、1989年1月23日*1、それまで富士重工の主幹を担う車種となっていた「レオーネ」の後継車種として発売された。
日本では当時「ワゴンは商用バンの豪華版」という考え方が一般的で、実際、各自動車メーカーはワゴンの設定のある車種の多くで同じ形の商用バンも販売していていたことも影響し、概して不人気車種だった。しかし、メルセデスやボルボのステーションワゴンはバブル経済と相まって飛ぶように売れていた。これらの車種には商用バンの設定が(当然と言えば当然だが)なかったからである。ここに目を付けた富士重工は、商用バンである「レオーネバン」を継続販売することで、新車種であるレガシィにバンを設定する必要性を無くし、ワゴンを「ツーリングワゴン」と名付けることで「バン」との差別化を図った。また、エンジン、サスペンション等、ほとんどの部品をレオーネからの引継ぎではなく、ゼロから作り直した。その結果、当時のスキーブームやSUV車ブームとの相乗効果もありレガシィは大当たりした。また、「水平対向エンジン+4WD」という独自の機構にターボチャージャーという過激な装備は自動車好きからも絶賛され、他自動車メーカーがバブル経済で利益を上げる中で一社、経営不振で傾き倒産さえ噂されていた富士重工は一気に経営状態を回復させた*2
この「ツーリングワゴン」の流行は他の国産車メーカーにも影響を与え、他社からも同様の車が発売されることとなった。云わば国産車に於けるステーションワゴンの草分け的存在と言えるだろう。また、セダン(BC型)はスバルのブランドをより広めることを目的として、WRCへの参戦も行っていた。最初期は資金やノウハウの不足で苦戦を強いられたものの、1993年ニュージーランド・ラリーでスバル初、レガシィにとっては最初で最後のWRC優勝を果たし、有終の美を飾ることとなった。


二代目(BD/BG型)はオリビエ・ブーレイ氏がデザインを担当。
重量増加を極力避けつつボディサイズの拡張を図り、且つターボモデルは「シーケンシャルターボ」の採用でBC/BF型から大幅に出力増加がなされた。また、マイナーチェンジなどを経て一部グレードにドイツのビルシュタイン社製ダンパーを装備したり、ターボモデルで2リッターエンジン国内初の自主規制枠280馬力達成した。結果、ハイスペックカーを求めている人々とステーションワゴンのユーティリティを求めていた人々の両方からの人気を博し、「ワゴン=レガシィ」というイメージを完全に定着させた*3
また、自動車税の変更により、各社こぞって車幅の広い3ナンバー規格のワゴンを登場させたが、レガシィは頑なに5ナンバーサイズを守ったのも販売台数アップの要因と考えられる。*4
上記のようにワゴン(BG型)はバブル崩壊後の不況の中でも飛ぶように売れた反面、セダン(BD型)は平成以降のステーションワゴンやミニバンの台頭の陰に隠れ売れ行きは芳しくなかった*5。己が日本に巻き起こしたワゴンブームによって売れなくなるというのは何とも皮肉な話である。


三代目(BE/BH型)でも手頃な5ナンバーサイズは継承され、好調なセールスを持続。販売量はワゴンが圧倒的な多数を占めた*6が、本モデルではワゴンの陰に隠れがちであったセダンに大幅な梃入れがなされた。ワゴンと発表時期をあえてずらし*7、また、スポーツグレードのみに絞ることでスポーツセダン「レガシィB4*8として発売開始。ちょうど同じ時期に発売したトヨタのスポーツセダン「アルテッツァ」によってこの部門がにわかに盛り上がっていた事もあり、雑誌などで何度も比較記事が掲載された。アルテッツァは1998年秋に発売されたにも関わらずその年の日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得していた事から誰もがアルテッツァの優勢だと思いこんでいた。しかし比較を進めるに連れ「ビルシュタインダンパー標準装備」「ターボエンジン」「4WD」「マッキントッシュオーディオ*9」等々、レガシィB4の優位性ばかりが目立ち、結果レガシィB4はスポーツセダンとしての地位を確固たるものにしたのであった。
また、このBE/BH型では2000年のマイナーチェンジ時にレガシィとしては初の6気筒エンジンを採用した事もニュースである。同社ではアルシオーネSVX以来の6気筒エンジンであり、またレガシィとしても初の新開発エンジンであった(型式はEZ30)このエンジンは2002年のマイナーチェンジ時にはツーリングワゴン/B4にも採用され、レガシィは名実共にグランドツーリングカーとなった。


そして四代目(BL/BP型・右上写真)では国際市場に参戦するべく、ついに3ナンバーサイズに突入*10。今までの押し出しの強いデザインであった富士重工の自動車に似合わぬ洗礼されたデザイン、相変わらずの使い勝手の良さや走りの良さ、そして初代から連綿と受け継がれてきている「水平対向エンジン+4WD」という他に類を見ない独自の機構を評価され、2003年-----奇しくも富士重工の創立50周年というアニバーサリーイヤーに-----日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。富士重工の自動車としては初受賞であった。
2006年に行われた年改ではBL/BP型になって初のビッグマイナーチェンジを敢行。ニュースとしてはドライブアシストシステム「SI-DRIVE(Subaru Intelligent-DRIVE)」を上位グレードに採用した事である。これはダイヤル式のセレクターによりドライバーが自分でエンジンの出力特性を選ぶことができるシステムで、3つのモードを自由に変えることができるという画期的なシステムである。これにより異なるエンジンキャラクターが1台で楽しめるようになった。


2009年5月に五代目が登場。ボディは更に大型化し、2.0Lモデルが廃止された。


ちなみに「レガシィ=legacy」とは遺産、遺物という意味。唐突な方向転換等を行わず、地道にモデルチェンジを続け、独自の機構と利便性を進化させ続けたレガシィは富士重工にとっての、まさに「遺産」であると言えよう。

また、度々「レガシー」と表記されることもあるが、誤記である。正式表記は「ー(長音記号)」ではなく小さな「ィ」(車検証などには「レガシィ」と表記されており、スバルのサイトでも「レガシィ」となっている)。検索の際は「レガシ」で検索すると、捕捉しやすい。

*1:ちなみに平成になって一番最初に発売した車がレガシィである。

*2:実際、日産自動車に吸収合併されるところだったとも言われる

*3:他社潰しで有名な(?)トヨタも「カルディナ」というレガシィのライバルとなる車種を発売させたが、レガシィの販売台数には勝てず、カルディナは三代目にして方向転換を余儀なくされた

*4:ただしBG型末期に出た「レガシィ・グランドワゴン」、BH型の「レガシィ・ランカスター」はブリスターフェンダー等により3ナンバーサイズとなっている。ちなみにBP型では「アウトバック」という世界共通名称を与えられた。詳しくは見出語「アウトバック」を参照のこと

*5:年間の売り上げ台数が1万台に満たないこともあった

*6:二代目では実に全体の90%がワゴンだったと言われる

*7:初代や二代目ではセダンボディをベースにワゴンを設計していたが、三代目ではセダンとワゴンの設計を別々に行うことでセダンボディの設計自由度を増した。ワゴンを先に開発した為、ワゴンが先に発表・発売されることとなった

*8:B4とは水平対向エンジンを意味する「BOXER ENGINE」の「B」と4WDの「4」である。

*9:McIntosh。パソコンのMacintosh(マック)ではない

*10:細かい事を言えば3ナンバー化の理由として、実際はキャスターアングルやハンドル切れ角の増加、また衝突安全性向上などの、エンジニアリングマターの結果という要素が大部分を占める。しかしむやみに拡大せず、扱いやすい最小限での、かつ十分の恩恵が得られる拡大量で、という辺りが「技術屋」である富士重工らしい。実際、最小回転半径は先代モデルよりも小さくなり、取り回しは楽になっている。

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

ネットで話題

もっと見る

関連ブログ