Roger Milla カメルーンの元サッカー選手。 1952年5月20日生まれ。 現役時代のポジションはフォワード。 カメルーン代表としてFIFAワールドカップに1982年、1990年、1994年の3大会に出場。 1990年イタリア大会では4得点を挙げ、アフリカ勢初のベスト8に貢献した。 1994年アメリカ大会にも42歳で出場。グループリーグのロシア戦で途中出場しゴールを挙げ、42歳と39日での最年長出場記録と最年長得点記録を同時にマークした。
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「激動期の大会」 時代の大きなうねり 第14回ワールドカップの開催地には8ヶ国が立候補したが、最終的にイタリアとソ連の2ヶ国に絞られた。そして84年にはFIFA総会で投票が行なわれ、多くの支持を集めてイタリアが開催国に選ばれる。84年ロサンゼルス五輪ではソ連など東欧諸国が大会をボイコット、それが投票の結果に影響したと思われた。 世界各地で予選が行なわれ、前回3位のフランスは本大会出場を逃す。そして南米予選ブラジルvsチリ戦、観客席から投げ込まれた発煙筒が、チリGKロハスの頭部を直撃。裂傷を負ったとして試合続行を拒否し、再試合を要求した。しかしそのとき写された写真とFIFAの調査により、ロハスの…
むかしのきょう 今から72年前の1952年、ロジェ・ミラ(Roger Milla)の誕生日。 あなたはサッカーカメルーン代表の世界的な伝説的な選手ですね。 1982年カメルーン代表として初めてスペインW杯に出場。 この時点で30歳。 1987年に引退。 しかし、大統領からのラブコールにこたえ復帰。 1990年イタリアW杯に出場。そしてあの対アルゼンチン戦で開幕します。 わたしはこの試合リアルで見ていて、驚きの連続でした。 Argentina v Cameroon | 1990 FIFA World Cup | Full Match - YouTube ※フルマッチ動画。 アルゼンチンは前回王者…
「カメルーンの黒い宝石」 アフリカ選手特有のポテンシャルを活かし、抜群のスプリント能力でDF裏へ抜け出した。軽快なフットワークとボール扱いの巧みさ、高い決定力で得点を量産するだけでなく、豊富な運動量とオフ・ザ・ボールの動きでチャンスを創出。飛び抜けた実績からアフリカ最高のストライカーと呼ばれたのが、サミュエル・エトー( Samuel Eto'o Fils )だ。 若くしてヨーロッパに渡り、マジョルカでの活躍を認められて名門FCバルセロナへ移籍。ロナウジーニョ、メッシ、アンリら世界的FWと競演し、05-06シーズンはリーガ・エスパニョーラ得点王を獲得。08-09シーズンはクラブ初となるトレブル(…
「常識を超えた守護神」 ペナルティーエリアを大きく飛び出し、高いDFラインの背後をカバー。時にはドリブルで敵陣深くに攻め上がり、攻撃参加も見せた規格外のキーパーが、レネ・イギータ( José René Higuita Zapata )だ。 フィールドプレイヤーを兼ね備えたスタイルは、スイーパーGKの先駆的存在とされる。FKやPKも得意とし、GKながら41得点を記録。ロジェリオ・セニ、ホセ・ルイス・チラベルト、ホルヘ・カンポスなど攻撃型キーパーに大きな影響を与えた。 曲芸師のような「スコーピオン・キック」でスタンドを沸かせ、90年W杯ではコロンビアのベスト16進出に貢献。しかしカメルーン戦ではい…
「英国紳士のストライカー」 鋭い得点感覚と俊敏な反応で、いち早くゴール前に飛び込んで得点を生み出したストライカー。またそのキャリアの中で一度も警告を受けたことのないという、紳士のフットボールを体現したイングランドの選手が、ガリー・リネカー( Gary Winston Lineker )だ。 86年のメキシコ・ワールドカップでは、ポーランド戦のハットトリックやアルゼンチン戦でのゴールなどで6得点を記録し、大会得点王に輝く。90年のイタリア・ワールドカップでも4得点を挙げ、自国開催の66年大会以来となるベスト4進出の原動力となった。 メキシコW杯での活躍により、86年にはエバートンからバルセロナへ…
「悪童の涙」 ぽっちゃり体型のベビーフェイスという外見からは想像し難い、俊敏なボールコントロールと鋭いパスワークで中盤を支配。また自らドルブルで持ち上がり、強力なシュートで得点を奪った。フィジカル主体のイングランドサッカーの中で、高いスキルとイマジネーションで違いを見せたゲームメーカーが、ポール・ガスコイン( Paul Jhon Gascoigne )だ。 ニューカッスルで頭角を現し、当時の最高金額でトッテナム・ホットスパーと契約。91年はチームをFAカップ優勝に導き、その活躍でセリエAの強豪ラツィオへ移籍。ここではたび重なる怪我に泣いたが、95年に移ったスコットランドのレンジャーズで復活。リ…
「金髪のライオン」 ライオンのたてがみのような金髪アフロをなびかせ、サルサを彷彿とさせる独特のリズムでゲームを構築。一度ボールを支配すれば決して失うことなく、巧みな足技でチャンスを演出した。一撃必殺のスルーパスを繰り出してチームを勝利に導いたコロンビアの10番が、カルロス・バルデラマ( Carlos Alberto Valderrama Palacio )だ。 独自のプレースタイルを貫いてしばらく雌伏の時を過ごすも、85年に移籍したデポルティーボ・カリでその才能を発揮。その活躍により、88年にはコロンビア人として初めて欧州のクラブへ移籍する。そのあと96年に発足した北米リーグでも活躍。ハイレベ…
「東欧のマラドーナ」 卓越したパスセンスとセカンドストライカーとしての能力、そしてゲームの流れを読み取る嗅覚は典型的な「10番」タイプ。172㎝の小柄な身体と、レフティーのゲームメイカーという共通点から「東欧のマラドーナ」と呼ばれたルーマニア史上最高の選手が、ゲオルゲ・ハジ( Gheorghe Hagi )だ。 早くからその才能は知られ、ルーマニアの強豪ステアウア・ブカレストで3度のリーグ優勝と3度の国内カップ優勝、UEFAスーパーカップ制覇に貢献する。90年代にはスペインのレアル・マドリードやバルセロナといったビッグクラブでプレーするも、いまひとつ輝けず、96年に移籍したトルコのガラタサライ…
「世界を驚かせた老雄」 90年イタリアW杯で、4ゴールを挙げてカメルーンのアフリカ勢初となるベスト8進出に大きく貢献。38才という年齢を感じさせない俊敏さと抜け目のなさで貴重なゴールを叩き出し、喜びの “マコサ・ダンス” で世界にセンセーションを巻き起こして「コーナーフラッグの王」と呼ばれたのが、ロジェ・ミラ( Alberut Roger Moon Miller )だ。 60年代後半に母国でプロとしてのキャリアを始め、76年には目覚ましい活躍でアフリカ年間最優秀選手賞に輝く。80年代はフランスのサンテティエンヌやモンペリエなどでプレー。異彩を放つストライカーとして多くのゴールを生み出した。 カ…
「リベリアの怪人」 抜群の身体能力に加え、優れたテクニックや戦術眼も備えたハイスペックのストライカー。FWだけでなく、ゲームメーカーやリベロもこなす万能ぶりで世界を驚かせた。その破壊的なパワーと常人離れした突破力で「リベリアの怪人」と呼ばれたのが、ジョージ・ウェア( George Manneh Oppong Weah )だ。 西アフリカの小国リベリアに生まれ、カメルーンのトネール・ヤウンデを経て88年にフランスのASモナコ入り。ここでアーセン・ベンゲル監督の薫陶を受け、トッププレーヤーとして覚醒。その後移籍したパリ・サンジェルマンやACミランでもスーパーゴールを決めるなど活躍し、95年にはバロ…
「サッカー不毛の地」 アヴェランジェ会長の世界戦略 第15回ワールドカップ開催地を決めるFIFA総会は、88年にチューリッヒで行なわれた。最終立候補国のアメリカ、ブラジル、モロッコの中から投票で選ばれたのは、「サッカー不毛の地」アメリカ。FIFA会長アヴェランジェの、サッカービジネス拡大戦略に沿った選定だった。 「不毛の地」と言ってもアメリカにサッカー文化がなかった訳ではなく、第1回のWカップから参加し、3位に入賞するという歴史を持っている。また68年には北米サッカーリーグも発足。ペレ、クライフ、ベッケンバウアー、ジョージ・ベストといった往年のスーパースターもプレーするなど、一時は大人気を博し…
「退屈な決勝戦」 世界を驚かせた「ブラックパワー」 決勝トーナメント1回戦の初日、予選リーグで世界を驚かせたカメルーンはコロンビアと対戦。勝負は互いに譲らず、0-0のまま延長戦に突入する。そして延長後半の106分、スーパーサブのロジェ・ミラが軽やかなステップから左サイドを突破、DF2人を置き去りにし、鮮やかな先制弾を叩き込んだ。 その3分後、ミラに先制点を奪われたGKレネ・イギータが、Pエリアを飛び出し遙か前方に繰り出してきた。だが味方からの横パスをキープできず、迫ってきたミラにボールを絡め取られ、無人のゴールへ追加点を流し込まれてしまう。 この日2度目の「マコサ」を舞うミラ。アクロバティック…
「第三世界の挑戦者」 拡大を続けるワールドカップ 78年に開かれたFIFA総会で、第12回スペイン大会の出場国数を、それまでの16ヶ国から24ヶ国に拡大することが決定した。これはFIFA会長のアヴェランジェが76年の会長選挙の際、アジア・アフリカ枠を増やすと公約を掲げ、それが効を奏して当選したからである。 どちらにしても、予選エントリーは今や109の国と地域。本大会出場枠の拡大は時代の趨勢だった。だが第三世界の出場チームを増やすことで、大会のレベルが下がるのではと危惧する声も上がる。 地区予選の結果、オセアニアで初めてニュージーランドが本大会出場を果たし、そのほかにはカメルーン、アルジェリア、…
「自分たちのサッカー」 13年12月7日、ブラジルWカップの予選組み合わせ抽選会が行なわれ、日本はグループCでコートジボワール、ギリシャ、コロンビアと対戦することが決まった。このグループは実力が拮抗したチームが揃い、日本も「自分たちのサッカー」で戦えば充分勝算があると期待が高まった。 翌14年5月12日、高輪プリンスホテルに400名以上のメディアを集め、W杯本番を戦う23人のメンバーが発表された。サプライズ招集となったのが大久保嘉人。大久保はそれまでザックジャパンに一度しか招集されたことがなかったが、Jリーグで得点を重ねるFWを無視する訳にはいかなかった。 他にも斉藤学や青山敏弘といった新鮮な…