ロバート・S・マクナマラ(Robert Strange McNamara)。
1916年生まれ。カリフォルニア大学バークレー校およびハーバード大学大学院卒。
ハーバード大ビジネススクール助教授となるが、空軍の統計学教育に関わったことがきっかけとなって1943年入隊、第二次大戦に参加。東京大空襲の指揮をとったカーチス・ルメイ米空軍少将の下、“効率的”な焼夷弾爆撃の作戦計画作成に手腕を振るっていた。(当時の階級は中佐。)
大戦後、自身と妻のポリオ治療費用を返済する資金を得るためフォード自動車に入社。経理から開発にわたって辣腕を振るい、1960年社長に抜擢される。その5週間後、ジョン・F・ケネディに請われ44歳で国防長官に就任。(ケネディ暗殺後も留任。)
ベトナム戦争では政権中枢のひとりとして大きな役割を演じるが、戦局の悪化、ジョンソン大統領との軋轢により辞任。
こののち世界銀行総裁に就任、貧困撲滅を唱えつづけた。
彼はベトナム戦争泥沼化の元凶のひとりとして批判されつづけてきたが、最近になって「なぜ間違えたのか」を考え公表しているのも確かである。
国防長官辞任前に戦争総括の機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)の作成を極秘に命じたのちは沈黙していたが、1995年には回顧録を出版し、論争に応じてきた。
2003年、高齢にもかかわらず応じた長時間インタビューは「フォッグ・オブ・ウォー」として公開上映され、アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を受賞している。