ロータス

(コンピュータ)
ろーたす

ソフトウェアメーカー。
ミッチー・ケイパーが1982年に設立。
「アップルのキラーアプリとしてのビジカルク」に相当する「IBM-PCのキラーアプリとしてのロータス1-2-3」で一世を風靡する。
が、世は移ろう。「WindowsのキラーアプリとしてのEXCEL」に敗れ、1995年にIBMに買収された。

ロータス

(スポーツ)
ろーたす

チーム・ロータス

1948年、コーリン・チャップマンによって設立されたロータス・カーズを母体とするレーシングチーム。
1952年のロータス・エンジニアリング設立を経て、1954年からチーム・ロータスの名前が使用されるようになった。
このロータスという名前は、チャップマンが東洋思想に傾倒していたために名付けられたという説が一般的ではあるが、妻ヘイゼルの愛称をそのまま使っただけ、とする説も根強く、その真相は定かでない。

【F1での成績】

コンストラクターズ・タイトル:7回(1963年、1965年、1968年、1970年、1972年、1973年、1978年)
チームが輩出したチャンピオンドライバー:5人(ジム・クラークグラハム・ヒルヨッヘン・リントエマーソン・フィッティパルディマリオ・アンドレッティ
勝利数:79回
ポールポジション獲得回数:107回

【〜1960年代】

1958年のモナコGPからF1に参戦。ドライバーはクリフ・ハリソンと、メカニックから昇格したグラハム・ヒルであった。
参戦当初は信頼性不足に悩まされるなど、目立った成績が残せなかったものの、1960年にスターリング・モスによって初優勝を飾ると、1963年にはジム・クラークとタイプ25のコンビによってグランプリを席巻。
この年、チームとして初めてのタイトルを獲得するなど大活躍し、第一期の黄金期を迎えた。

【1970年代】

1970年代は名車タイプ72によって6シーズンを戦い、実に20回もの勝利と3回(1970年、1972年、1973年)のコンストラクターズ・タイトルを獲得。名実ともにトップチームの仲間入りを果たす。
また1977年に実践投入されたタイプ78は、グランプリ史上初のグラウンド・エフェクト・カーであり、この時代のF1を大きく変えるエポックメイキングなマシンとしてモータースポーツの歴史に名を残すこととなった。

【1980年代】

1982年12月、チャップマンが心臓発作により帰らぬ人となるなど、1980年代はロータスにとって苦しい時代となった。
そんな勝てない時代にあったロータスを再びトップに押し上げたのはデビュー2年目のアイルトン・セナ。
1985年にロータスに加入すると、エストリルで久々の勝利をチームにもたらすなど、1988年にチームを離脱するまでに6回の優勝と16回のポールポジションを記録。低迷するチームの救世主となった。

【1990年代】

1990年、チャップマン一族はピーター・コリンズとピーター・ライトに経営権を譲渡することを決定。
チームは新たな体制でグランプリを戦うこととなった。しかしキャメルのスポンサー契約が終了するとチームは慢性的な資金不足に悩まされることとなり、1994年の日本GPを最後にグランプリの世界から姿を消すことに。このシーズンをもって、名門チーム・ロータスの歴史に終止符が打たれることとなった。(1995年はパシフィックグランプリにロータスの名前を貸与するものの、シーズン途中で撤退。)

ロータス・レーシング

イギリスF3に参戦しているライトスピードを母体に、エアアジアを所有するチューングループの資金的バックアップでロータス・カーズからの名称の使用許諾を受け、2010年に16年振りとなるF1復活を果たした新規参戦チームの1つ*1
チーム代表はエアアジアのCEOを務めるトニー・フェルナンデス、テクニカルディレクターはマイルドセブン・ルノー・F1チーム、パナソニック・トヨタ・レーシングでテクニカルディレクター、フォース・インディア・F1チームでCTO*2を務めたマイク・ガスコインが務める。
現在、マレーシア国籍のチームとしてエントリーしているが、開発拠点はイギリス・ノーフォークに置いている。

グループ・ロータス

イギリスのノーウィッチに本拠地を置くスポーツカーメーカー。グループ・ロータスの配下に、市販車の製造と販売を担うロータス・カーズと、コンサルティングを手掛けるロータス・エンジニアリングの2社が存在する。
1948年、コーリン・チャップマンが設立。1952年にはロータス・エンジニアリングを興し、その翌年から自動車の製造・販売を開始した。1950年代から1970年代にかけては軽量スポーツカーの生産で名を馳せたが、1982年にチャップマンが急逝すると経営難に陥った。その後、会社存続のためゼネラルモーターズ傘下に入るなどしたが、1996年10月、マレーシアの自動車会社プロトンの完全子会社となり、現在に至る。
1995年に発表した軽量スポーツカーのエリーゼで成功を収めると、2009年には元フェラーリ副社長のダニー・バハールがCEOに就任。大幅にラインナップを増やして、一気に拡大路線を打ち出している。

ロータス・ルノーGP

2010年12月8日、ルノーF1チームの株式を取得してF1に復帰することを発表した。チーム名はロータス・ルノーGP。2011年は往年のJPSカラーをモチーフとした黒・銀のカラーリングで参戦することが決まっている。

名称騒動

当初、フェルナンデスのロータス・レーシングはチャップマン家のサポートとプロトンのスポンサードによりロータスを名乗っていたが、グループ・ロータスがルノーF1の株式取得の少し前に権利者から「チーム・ロータス」の名前を取得していたことで二つの「ロータス」が並び立つこととなり、お互いの名称を差し止めるべく裁判沙汰になった。
この騒動は、グループ・ロータスが「チーム・ロータス」をフェルナンデスから譲り受けることで決着、フェルナンデスのロータス・レーシングは2012年から「ケータハムF1チーム」と名乗ることになった。なおケータハム社はロータス・スーパーセブンの生産権利を持っていることで有名であり、この裁判中にフェルナンデスによって買収されていた。

…しかし、2012年にグループ・ロータスはロータス・ルノーF1チームとのタイトルスポンサー契約の打ち切りを発表、前後してバハールはあえなく失脚してしまう。チーム名の使用は継続されたものの、一時期メルセデスエンジンに切り替えるなど、不安定なチーム運営を続けていた。

結局、2015年にルノーはロータスF1チームを完全買収することで決着。2016年から再びルノーとなることに。

*1:他には、ヴァージン・レーシング、HRT F1チーム

*2:チーフテクニカルオフィサー

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