アルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼビウス・フォン・ヴァレンシュタイン公爵(Albrecht Wenzel Eusebius, Herzog von Wallenstein)。
ワレンシュタインとも。ベーメン(ボヘミア)出身の傭兵隊長にして将軍。三十年戦争で活躍した。1583年〜1634年。
ボヘミア(現在のチェコ)のヘルマニッツ(ヘジュマニーツァ)の新教貴族の家に生まれる。が、カトリックに改宗。1618年のベーメンの叛乱では国王フェルディナント(旧教)の側に立ち、叛乱側の貴族の領地を没収、大儲け。
1624年にフリートラント公となる。1625年に傭兵隊を組織し、皇帝軍司令官のティリーとともにデンマーク軍を撃退する。しかし、1629年にデンマークと和約した*1ことで反発を受け、1630年に解任される。
ところが、新教側に参戦したスウェーデン軍がティリーを戦死させるなどして快進撃を続け、皇帝側は危機的な状況に陥る。ヴァレンシュタインは、皇帝から三顧の礼で迎えられ、皇帝軍総司令官に就任して危機的な戦況を救う。その後、スウェーデン王グスタフ・アドルフと丁丁発止の戦いを繰り広げ、1632年11月のリュッツェンの戦いで敗北するも、グスタフ・アドルフを戦死させる。
だが、新教側との和平交渉により不信感を持たれ、また、ベーメン王位を狙っているとの疑いも持たれたことから再度解任される。そして1634年2月25日、皇帝の放った刺客によって暗殺された。
ヴァレンシュタインが戦争で金儲けすることだけを考えていた単なる戦争企業家だったのか、それともドイツやベーメンの将来を憂いていた国士だったのか、ということに関しては現在でもわかっていない。
*1:ヴァレンシュタインは、信仰心ではなく現世的な利害に基づく判断ができたので、無意味な戦乱が続くことはよくないと考えていた