Victor Starffin
ヴィクトル・スタルヒンは、ロシア出身で戦前・戦後のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは投手。背番号は17番。
1916年12月8日生まれ、ロシア、カテリンブルグ出身。
1919年、ロシア革命後、白系ロシア人として北海道旭川に亡命。小学生の時に野球を始め、旭川中学校(現・旭川東高等学校)の野球部で活躍。
1934年、日米野球の全日本に選抜され、中学を中退し上京。
1936年、東京巨人軍に入団。
1937年の秋期に15勝7敗、防御率1.85の成績で最多勝。春期の13勝と合わせて28勝を挙げる。
1938年は春期14勝3敗、秋期19勝2敗の成績でシーズンMVPに輝く。
1939年、42勝15敗、38完投という不滅の大記録を残し、最多勝と奪三振王、2年連続MVPに選出された。翌年にも38勝で最多勝。
1944年はの9月戦況悪化からプロ野球が中止され、ロシア人のスタルヒンは、軽井沢の外国人収容キャンプに抑留される。終戦後、プロ野球には復帰せず、進駐軍で通訳を務めていたが、元巨人監督の藤本定義の誘いで復帰し、太陽ロビンス、金星スターズ、大映スターズ、高橋ユニオンズ、トンボユニオンズと転々とする。大映時代に27勝17敗の成績を残し最多勝を獲得。
1955年のトンボ時代に日本プロ野球史上初の300勝を達成。その年生涯勝利数303勝で現役引退。
1957年、車の運転中に停車中の電車に激突し、不慮の死を遂げた。
1960年、競技者表彰として第1号となる野球殿堂入りを果たす。
彼の功績を称え、1984年に完成した旭川市営野球場が「旭川スタルヒン球場」と命名された。