喜劇役者。
本名田沼則子(たぬまただし)。1924年東京生れ。
日本大学で美術を志していたが、学生時代に「東京弁をしゃべれる役者が足りないから」と誘われて舞台に上がる。俳優座等を経て三木鶏郎グループに参加し、NHKラジオ「日曜娯楽版」で人気を集める。
その後、映画「社長シリーズ」「駅前シリーズ」などの軽妙な演技で喜劇役者としての地位を確立。その三木を評して当時徳川夢声は、「今やエノケンの跡をつぐのはのり平だ」。
一方では森光子の「放浪記」の演出なども手がけている。
また、桃屋のCMは1958年に始まり、以来40年以上にわたって日本中に流れてきた。三木没後は、息子の俳優・小林のり一が新作分を吹き込んでいる。
1996年勲四等旭日小綬章。
1999年1月25日、肝腫瘍のため死去。享年74。