日本の平安時代末期の相模国三浦郡衣笠城の武将。三浦荘の在庁官人。 平良文を祖とする三浦氏の一族の武将で娘の1人は源義朝の側室だったと伝えられている。衣笠城合戦で源氏側として出陣し戦死した。
鎌倉殿の13人 第29回 2022年7月31日放送 本編タイトル「ままならぬ玉」 紀行コーナー:三浦義澄の墓(薬王寺旧跡)(神奈川県横須賀市)
図書館から借りてきて読んでいたのは、三浦一族に関する本です。 昨年の暮、荒崎に行った時に見た看板が気になって、荒崎の居城は誰が住んでいたのかをずっと調べていたんです。別段どうってことない話なのに、気になり始めると駄目なんですわたし。 ですんで思いっきし備忘録 ⤵ 三浦一族は、頼朝が鎌倉幕府を作る時に、その中心になって活躍した人たち。 一人一人が個性的で面白い。 三浦一族の総帥で89歳の義明じいちゃんは、 平家側の畠山一族の軍勢に城攻めに遭うんだけど、 もう駄目だという時に「犬死にするな、逃げろ」と言う。 しかし。 そう言いながら、自分だけ残るといって息子たちを困らせる。 息子たちは父親の言いつ…
折角 MOURI もいるんだから、とっておきのスポットに連れて行きます。 三崎港から少し手前の長井というところにある 荒崎公園 です。 以前 来たのは、去年の10月だったかな。 その時も閑散としていて、 大自然ひとり占めでしたが、今日も2組しか出会いません。 そうか大晦日だもの、世間では大掃除や買出しで忙しく、海岸で油売ってる人はいないか。 ※ 下4枚は、2011年10月19日に撮影したもの 「夕日の丘」と書いてある坂道を上ると、平らな広場に出ます。 公園内の看板『荒崎の奇勝と歴史』には、 右手にある海中に突き出した小高い岩山は城山と呼ばれ、頂上にわずかの平地を残し周囲は絶壁となっています。か…
こんにちは👋😃お得大好きとむまねです✨ 今回は横須賀観光協会主宰の 源頼朝ゆかりのパワースポットを巡る 願掛けツアーin三浦半島に参加してきました‼️ 申し込みしたらすぐに締め切りになったので 参加滑り込みセーフ😅でした。 当日待ち合わせは横須賀中央駅9:15集合 さっそく行程表と御朱印札、名札、イヤフォンガイドを受け取ります。 マイクロバスで移動o(^o^)oワクワク まずは満昌寺へ こちらで座禅体験✨ 座り方から初心者🔰向けに丁寧な説明を受け、10分間2回程体験させて頂きました。 10分って長いと思ったら意外と短い👀‼️ 眠くもならずに無の世界を感じることができました☺️ その後は通常非公…
神奈川県横須賀市岩戸の満願寺にある佐原十郎義連の墓です。義連は三浦義明の十男で子孫には会津で戦国大名に成長した蘆名氏がいます。また宝治合戦で三浦本家が滅亡したあとは佐原氏の系統が三浦本家を継承しています。 佐原義連の墓所。 佐原十郎義連公の記念碑。 満願寺。 満願寺の入口。 説明板。
神奈川県横須賀市大矢部の薬王寺跡にある三浦氏5代 三浦義澄の墓です。義澄は鎌倉殿の13人の1人で三浦義明の子です。子には義村や胤義がいます。 三浦義澄の墓所。 薬王寺旧跡。三浦義澄の墓の入口です。 薬王寺山門跡、駒繋石。 説明板。
神奈川県横須賀市大矢部の満昌寺にある三浦氏4代 三浦大介義明の墓です。義明は源氏旗揚げの際に源頼朝に味方し、三浦氏の本拠地である衣笠城で壮絶な討ち死にをしたといいます。このとき子の義澄らを房総に逃しています。 三浦義明の墓所。 三浦義明の墓石。 御霊神社。祭神は三浦義明でこの裏手に廟所があります。 満昌寺の本堂。 満昌寺の山門。 満昌寺の図。
神奈川県横須賀市佐原にある佐原城に行ってきました。三浦一族の佐原十郎義連の城といわれています。佐原義連は三浦義明の10男で子孫には会津で戦国大名になった蘆名氏がいます。現在城跡の丘陵はマンションや畑になり、佐原十郎義連城跡の石碑があります。 佐原城跡。 佐原十郎義連城跡の石碑。 石碑。 石碑近くの木にかけられた説明板。 石碑の一段下にある帯曲輪状の削平地。 案内看板。 佐原城の位置。 年末の城納めとなりました😌
佐竹義政は東国でも指折りの源氏の名門であった。 佐竹義政、常陸源氏と常陸平氏の血を受けて誕生する 佐竹義政、常陸源氏の武士団・佐竹一族に生まれる 佐竹義政は源氏と平氏のハイブリッド! 佐竹義政と平清盛との出会い 佐竹義政と源義朝ら坂東武者との死闘 佐竹義政と坂東武士団との関係 佐竹義政の一族、常陸国に七郡を得る 佐竹義政、源氏方の上総広常と交渉の席につく 佐竹義政は平家方として立場を堅持する 佐竹義政の抗戦と上総広常との交渉 常陸源氏・佐竹義政、未来の棟梁ながら平家と接近する 平清盛。佐竹氏と早い時期から関係を結んでいた。 佐竹義政、常陸源氏と常陸平氏の血を受けて誕生する 佐竹義政、常陸源氏の…
同聚院の基本情報 同聚院は曹洞宗のお寺で、山号は白華山。平治元年(1159年)三浦義明が赤石左衛門の菩提を弔うために創建したとされる。 寺号標 仁王門 同聚院山門(武家門) 瓦葺きの切妻造りで本柱4本と控柱4本の4脚門。市指定重要文化財になっています。 本堂 不動堂 同聚院で出会ったお地蔵さん 六地蔵尊 水子地蔵尊 同聚院へのアクセス 群馬県伊勢崎市曲輪町14-5 この記事が面白いと思ったら、クリックの協力をお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村
ついに大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わった。次から次に人が殺され、落ち込むことが多かったが、目の離せないドラマだった。 最終回もBSと地上波で二度見して満足する内容だったが、来週から放送がないのが少々寂しい。 鎌倉殿の13人〜三浦一族ゆかりの地 横須賀と三浦へ - かんのん日記 三浦一族ゆかりの場所は3月に訪れているが、最終回、最も印象に残った三浦義村(山本耕史さん)の墓参りをしたい気持ちになり、本日ついに訪問することができた! みさきまぐろきっぷ - 三浦COCOON - 三浦半島からのあたらしいすごしかた提案 京急のおトクなきっぷ(往復の電車代、バス代、食事代、おもひで代をセットにした企…
こんにちは、勘矢です。 今回は相模三浦一族について調べたことをまとめました。 1. 三浦氏発祥から宝治合戦まで 2. 佐原流三浦氏 3. 正木氏・紀州藩家老三浦氏 1. 三浦氏発祥から宝治合戦まで 三浦氏は桓武平氏の流れをくみ、相模国三浦郡三浦(神奈川県三浦市)の発祥。為継は源義家に従って後三年の役で功をあげ、以降清和源氏に代々属した。義明は三浦大介を称し、以後嫡流は三浦介を称した。源頼朝が挙兵して石橋山で敗戦すると義明は衣笠城に籠城し、畠山重忠らの来襲を受け討死した。 その子義澄は頼朝の挙兵に初期から加わり、源平の戦い、奥州藤原氏攻めに活躍した。頼朝が征夷大将軍の除書を勅使から受け取る役をつ…
熊谷駅から列車に乗って、次の目的地に旅します。 JRではなく、秩父鉄道を利用します。 熊谷駅、秩父鉄道のプラットホームです。 秩父鉄道では、今でも週末など特定のダイヤで蒸気機関車が運行されているそうです。 全席指定の事前予約制で乗車できるそうですよ。 各種お菓子の入った自販機です。 熊谷でつくっているらしい手作り玉ラムネも買えます。 美味しそうですが、甘いものを控えるようにしているので買いませんでした。 秩父地方で採水した秩父鉄道限定ミネラルウォーターを買いました。 パッケージの蒸気機関車は、かつて秩父鉄道で走っていた車両だということです。 武川駅にやって来ました。 深谷市の南部に位置する駅で…
こんにちは、よたろうです。今回は深谷市にある、井椋(いぐら)神社と鶯の瀬を紹介します。 データ 畠山一族の守護神を勧請した神社 鶯の鳴き声に導かれて洪水を回避した伝説 アクセス データ 【井椋神社】 名称:井椋神社 祭神:猿田彦大神(さるたひこのおおかみ) :武甕槌命(たけみかずちのみこと) :經津主命(ふつぬしのみこと) :天兒屋根命(あめのこやねのみこと) :比賣神(ひめがみ) 訪問日:令和4年9月22日 www.saitama-jinjacho.or.jp 【鶯の瀬】 名称:鶯の瀬 訪問日:令和4年9月22日 畠山一族の守護神を勧請した神社 井椋神社は、畠山重忠の父・重能が畠山荘司となっ…
こんにちは、よたろうです。今回は深谷市にある、畠山重忠公史跡公園を紹介します。 データ 畠山重忠の生地にして聖地 アクセス データ 名称:畠山重忠公史跡公園 訪問日:令和4年9月22日 www.city.fukaya.saitama.jp 畠山重忠の生地にして聖地 畠山重忠公史跡公園は、畠山重忠が誕生したと伝わる「畠山館跡」があった場所が整備されてつくられた公園で、重忠の銅像や墓、産湯の井戸などがあります。 「畠山重忠の聖地」といっても過言ではない場所です この畠山重忠公史跡公園があるのは埼玉県深谷市の畠山……ということで、この地こそが文武両道に優れ、謹厳実直で情に厚く、仁智勇の三徳を兼ね備え…
はじめに 三浦義村の子息の官職歴 三浦泰村 三浦光村 三浦家村 三浦資村 三浦胤村 三浦義村の生年・官途について 佐原三兄弟 "三浦介" について 脚注 はじめに 三浦氏(みうら-し)は、坂東八平氏の一つで、相模国三浦郡を本拠地とする武家である。鎌倉幕府初期においては執権・北条氏と並ぶ有力御家人となっていたが、1247年の宝治合戦で嫡流の三浦泰村らが滅ぼされて弱体化。戦後、庶流から泰村の甥(姉・矢部禅尼の子)でもある三浦盛時により「三浦介」家が再興されたが、事実上得宗被官化していて地位が下がっていたためか、盛時以降の歴代三浦介(家督)については残された史料が少なく、生没年も未詳である。 一方、…
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第41回「義盛、お前に罪はない」を視聴した。 覚悟はしていたけど、大変、胃に悪い回だった。 (´Д` ) 前回、一応義時と和解したにもかかわらず、身内の勇み足のせいで挙兵することになってしまった和田義盛は、そのまま滅びの道をまっしぐらに突き進むことになる。 ドラマの中の和田義盛は、どこまでもお人好しで人情に厚く、最後の最後まで人を信じていた。 息子の数の多さには驚いたけど(前の奥さん、何人いたんだろう…)、身内を可愛がって、大勢に慕われて、巴という愛妻にも出会え、実朝という愛すべき主君に仕えることができて、プライベートは幸せいっぱいだったように見えた。 和田義…
こんにちは、よたろうです。今回は横須賀市の満昌寺を紹介します。 データ 源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために創建した寺院 アクセス データ 名称:義明山 満昌寺 宗派:臨済宗建長寺派 本尊:宝冠釈迦如来 拝観料:志納(宝物殿の拝観料は300円) 訪問日:令和4年9月20日 manshoji.com 源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために創建した寺院 満昌寺は、建久5年(1194年)に源頼朝が三浦義明を開基として建立した寺院です。 三浦一族の本拠地・衣笠城址にほど近い古刹 「雲龍殿」の扁額が掲げれれた本堂 建久5年(1194年)というと、三浦義明が石橋山の戦いに敗れた源頼朝との合流叶わず、三浦一族を守…