三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)は、1945年(昭和20年)8月22日に、引き揚げ船の小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸の3隻がソ連軍の潜水艦の攻撃を受け、1700人以上の命が奪われた事件です。 (ソ連参戦で、樺太から日本へ引き揚げ) 1945年(昭和20年)日ソ中立条約を破り日本に参戦したソ連の侵攻に対し、樺太庁は緊急疎開の要項を全島の支庁、市町村、警察に通達します。それによると疎開対象者は65歳以上の老人、14歳以下の学童、40以下の女性と乳幼児、病人や身体が不自由な者に限られ、その数は約16万人と言われています。そして南樺太の大泊港からは、樺太各地から避難してきた人々が、日本へ引き揚…