戦国時代の武将。越後の戦国大名。長尾為景の子で初名・景虎。政虎、輝虎。養子に上杉景勝*1・上杉景虎*2・上条政繁*3ほか。
兄の長尾晴景の跡を継いで越後を領し、北陸そして関東に勢力を伸ばした。 上杉憲政を保護すると、関東管領山内上杉氏の名跡を継承。上杉憲政より偏諱を貰い、上杉政虎と名乗り、ついで将軍足利義輝の偏諱を賜って上杉輝虎と名乗った。その後、剃髪して不識庵謙信と号す。 義侠に富み、小田原北条氏や甲斐武田氏を度々争った。越後の龍といわれる。
妻帯していなかったため跡継ぎ争いが勃発している。
*1:長尾政景の子で甥
*2:北条氏康の子
*3:畠山義続の子
こんにちは。薩摩琵琶奏者の中尾掌水、ヨガインストラクターのゆうこです。普段は書籍の編集者として働いています。 4月20日(土)、東松戸の旧齋藤邸で開催する演奏会「古民家で聴く薩摩琵琶」では、3曲予定しています。 私、中尾掌水の「白虎隊」(「白虎隊」の魅力紹介はこちらから)、波平紀水さんの「船弁慶」、そして「掛け合い 川中島」です。琵琶は基本的に、1人で語り琵琶を弾きます。そんななか、2人で語り琵琶を弾き合う「掛け合い」というスタイルもあります。それを今回、「川中島」で挑戦します。 琵琶の「川中島」はその名の通り、川中島の戦い、とくに「両雄一騎打ち」の場面を物語るもので、上杉謙信と武田信玄の両雄…
写真はイメージです 「義」の武将といわれる上杉謙信は、敵に塩を送ったことで知られる。 永禄一〇年(1567年)ごろ、甲斐の武田信玄が駿河の今川氏真から塩留めにあった。『上杉家御年譜』によると、謙信は、海のない甲斐国の「万民の辛酸尋常にあるべからず。手段もっと浅薄なり」と氏真のその政策を批判し、逆に家臣を召して、敵の信玄へ「塩を送れ」と命じた。結果、敵国の民衆は謙信を「邪道なき大将」と称し奉ったという。 しかし、『上杉家御年譜』は、米沢藩(上杉家)の藩医で儒学者でもある人物が江戸時代の天和三年(1683年)に編纂したとされ、事件のあった永禄一〇年から一一〇余年たってから書かれた史料。当時は江戸幕…
家康ファンの方がいらしたら、すみません。 初の作家さんだった冲方丁さんの「戦の国」、とても面白かった。 戦国、動乱の55年を駆け抜けた、織田信長、上杉謙信、明智光秀、大谷吉継、小早川秀秋、豊臣秀頼ら六傑の視点から描く、連作短編集。 どの武将も、これまでとは違った視点で、そうかそうだったのか!と説得力があって、ぐいぐい引き込まれた。 脇役的な存在として知っていた、「大谷吉継」、「小早川秀秋」、「豊臣秀頼」が特に素晴らしかった。 女優の芦田愛菜ちゃんが、一番好きな武将は「大谷吉継」と言うが、何を読んでそう思ったのか。もしかしたら、この「戦の国」の大谷吉継を読んだのではないか。それにしても一番好きな…
極楽も地獄もさきは有明の月の心にかかる雲なし 上杉謙信 (辞世の句) 絵、上杉謙信の肖像画 上杉謙信(上杉景虎)は、戦国時代の越後国の大名。享禄3年(1530年)に生まれ、天正6年(1578年)に死没。 戦国時代の武将たちのなかでも屈指の戦上手とされ、後世、軍神や越後の龍とも称される。 内乱の続く越後国を統一し、戦や政の他、産業も推し進め、国を繁栄させる。数々の合戦を行い、特に武田信玄との川中島の戦いが知られる。 ことわざ「敵に塩を送る」は、上杉謙信と長年敵対関係にあった武田信玄が、遠江の今川と相模の北条の両氏から経済封鎖され、塩不足に苦しんでいたときに、謙信が信玄に塩を送った逸話が由来となっ…
どうもー✋ 「カクキネ ブログ」 管理人のラタです。 このブログでは、メジャーな記念日ではなく、普段あまり日の目を見ることがない、少しマイナーな「隠れた記念日」や今日の「花」などを紹介しています。 最後に俺が思ったことをちょろっと〜 目次 隠れた記念日 本日の花と花言葉 一言 隠れた記念日 永禄11年1月11日、甲斐の武将・武田信玄と交戦中だった、越後の武将・上杉謙信が、 武田信玄が塩の物流を絶たれ困っている事を知り、敵方にも関わらず武田方に「塩」を送ったとの逸話があり、この話が 「敵に塩を送る」という言葉の元になったことから「塩の日」として記念日が制定されています。 しかし、近年の研究の結果…
はーい、どうにかこうにかストーリーを進めて孫一ちゃんも正式加入させて、残りのぐだぐだコンテンツを楽しもうとしている今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。わたし?わたしは例のごとく周回できないiPhoneとともに行ったり来たりを繰り返してます。おまけに仕事が急に忙しくなったりで、FGOどころじゃねえって感じですが、通勤途中にちょっとだけとか、まあそういう感じで進めてます。 ガッツリ遊ぶ時間欲しいなあ。 で、例のごとく追加された新規サーヴァントの上杉謙信ちゃんですが、まぁ実装されるよね、石は貯めとこうねと思って130個近く貯めてたんですよ。これだけあればまあ大丈夫じゃろ的な。 …やっぱりね…
実は落ち着いて訪れた事が無かった街、新潟県栃尾😋 油揚げで有名だ🍗 長岡の隣なんだけど、その先はどん詰まりなので独立した立地なのかな🙃 上杉謙信が縁で広い秋葉公園に居た🛝 隣に無料で入れる美術館もあった🖼️ 展示は地元の子供達の作品のみ🖼️それは無料だわ🙃 家族連れで自分の子供の作品を観に来ていた😆ある意味変な常設展より人は呼べるね😆 雁木通りの店で辛肉蕎麦食べた🍖🥩🌶️
一条真也です。たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「裕」です。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、しばしば比較の対象にされる戦国の三大英雄ですが、このなかで一番驚異的な人物は秀吉です。なぜなら、信長や家康は大将になるべき家に生まれてきましたが、秀吉は身分制度の厳しい時代に農民出身の一介の足軽から身を興して、才覚と努力だけで成り上がったからです。 主君である信長のために必死に駆け回り、最後には織田政権の後継者、そして天下人になりました。しかし…
奥の院 高野山で一番行きたい所がここ奥の院。なぜなら弘法大師が奥の院御廟に御入定されているからです。そして56 億 7000 万年後に弥勒菩薩とともに蘇り、衆生を救うと考えられ、実施にその兆しがあるのか、誰もいない林で人の動きや高僧の気配を感じた僧侶もいるそうで、とても興味深いです。一の橋から御廟まで約2km。約20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑が立ち並び、当時から見守ってきた樹齢千年に及ぶ苔むした杉木が歴史を偲ばせる不思議な空間でもあります。神秘の奥の院へ、いざ参ります。 ところが突然大雨が降ってきました。龍さんの歓迎~!(o^―^o)ニコ奥の院は龍が守ってますからね。 神社やお…
蝶の戦記(新装版)上 【電子書籍】[ 池波正太郎 ]価格: 784 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 甲賀忍びの一派、杉谷忍びに属する於蝶は、頭領・杉谷信正から上杉謙信のもとに行くように命じられる。上杉謙信は度々刺客に襲われ、軍師宇佐見定行から杉谷忍びの助けを求められたのだ。於蝶は蝶丸と名を変えて上杉謙信の小姓になり、謙信のお椀に毒が入れられたことを見破り、謙信の信頼を得る。 この頃、上杉謙信は策略で事を進めようとする武田信玄に対し、今後立ち上がれない位の打撃を与える決意をしていた。決戦の場は川中島。その頃於蝶の叔父、新田小兵衛も鉄砲の名手である杉谷善住坊と組んで武田信玄の首を狙っていた。善住…
駅名 徳田駅旧漢字 德田よみ とくだ歴かな とくだ発音 トクダ所在地 石川県七尾市下町戊21電報略号 トタ(カナトタ)事務管理コード △541818貨物取扱駅コード マルス入力コード カナトタマルスカナコード トクダ鉄道事業者 西日本旅客鉄道株式会社所属路線 七尾線乗入路線 七尾線キロ程 津幡起点 48.9km 名所案内標記載事項(国鉄営業局昭和30年4月) 能登国分寺趾 北東5.6粁 七尾城趾 指定史蹟 上杉謙信の作「霜満軍営秋気満」の詩で有名 北東4粁 歴史1898年(明治31)4月24日 七尾鉄道 津幡仮停車場(後の本津幡駅の前身)~七尾駅~矢田新駅(後の七尾港駅)間開通と同時に駅開設。…
朝、善福寺川沿いを走ってきました。イヤホンを落とし探すのに四苦八苦でした。まさかそんなに飛ぶとは思いませんでした。 「日本史1200人」465 小笠原長時(ナガトキ;1514〜1583) 戦国大名、府中小笠原氏17代、小笠原流弓馬術礼法宗家。1545年から武田信玄と幾度か戦って敗れ、1550年には本拠の林城も失い信濃小笠原氏は没落した。長時は弓馬に優れた勇猛な武将であったが、部下を統率する能力は芳しくなかったという。以後の正確な動向は不明であるが、1555年には三好長慶を頼って上洛し、馬術指南を行っている。また、1559年には将軍義輝が上杉謙信に対して長時の復帰への助力を命じている。しばらく…
アフィリエイト広告を利用しています 上杉謙信:義の武将としての生涯 上杉謙信(1530年 - 1578年)は、戦国時代に越後国(現在の新潟県)を治めた名将であり、その義に厚い人物像で知られています。 幼少期と家督相続 謙信は長尾為景の四男として春日山城で生まれました。幼名は虎千代といい、元服後は景虎と名乗りました。19歳で家督を継ぎ、越後国の統一に成功しました。 武勇と政治 謙信は多くの合戦で勝利を収め、「越後の龍」と称されました。また、関東管領としての地位を継ぎ、政治面でも越後国の発展に寄与しました。 川中島の戦い 謙信は武田信玄との間で5度にわたる川中島の戦いを展開しました。これらの戦いは…
ごつい男性二人が鐘付き棒を取り合っています。 「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA 鬼児嶋彌太郎(おにこじまやたろう)と 西法院赤坊主(さいほうゐん あかほうず) 両虎 力を諍う ーーー こちらも北斎の「鬼児嶋彌太郎と西法院赤坊主」。こちらは橦木ではなく大きな梵鐘を取り合っています。 「浮世絵標準画集 第10巻 (北斎)」国立国会図書館デジタルコレクションより 西法院赤坊主というのは妖怪なんですってね。上杉謙信ゆかりのお寺の鐘を盗んだのは悪い妖怪赤坊主。その退治を謙信は家臣の鬼児嶋彌太郎に命じました。彌太郎は死闘の末に見事鐘を…
新たな頂点武将が出てきました。 なかなか評価が高いようで、次の育成は上杉謙信かなと思ってましたが、今川よしもとが良いですかねぇ。。。 突破スキルで攻撃しながら、動揺もかけるのが強いですね。これでは秀吉が確実に止まってしまう。。。(完全突破させなくてよかった。) 酩酊にもするので、鬼武将松平と相性が抜群! 松平に青鷲ノ刃という武装つけたら最強ですね。 ということで、丁度ピックアップに出てたのでトライ。 戦国布武 鬼松平用武装ゲット - YouTube なんと10回で武装ゲットしました! 無敵の武装です!!
もうなんかね、仕事が忙しくなると一周回って退屈になってくるわけですよ。 こういうことありますよね? 学生でも課題や宿題が溜まってくると、逆にどうでもよくなってくることが。 どうでもいいことですが、高校時代は私立高校だったので夏休みは2週間、その割に各科目の担当教員が「これ丸々1冊全部解いてこい」というもので毎日宿題をしないと終わらないレベルでした。 終わらなかった友人の1人が、夏休みの朝来て「これ終わらねえ。もう採取手段をやるしかない」と言って表紙と中身数ページを破いて提出して、当然ばれて滅茶苦茶怒られた思い出があります。 まあさすがに会社員になって子どものようなことはできませんからね。 給料…
「▶Vtuberの奨め💞🎋🐦74 Saku / 雀 - 武士来舞のVTuberを紹介するぜ」 YouTube動画「【初配信】参謀、推して参ります!【武士来舞/雀】」を以下に要約しました。 「▶Vtuberの奨め💞🎋🐦74 Saku / 雀 - 武士来舞のVTuberを紹介するぜ」 皆さん、こんにちは!今回は、新たなVTuberの登場をお知らせします。その名も、Saku / 雀 - 武士来舞。彼女は、武士来舞の青色担当のサクとしてデビューしました。 サクの初配信は、彼女のキャラクターと魅力を存分に発揮する場となりました。彼女は、自己紹介から始め、誕生日や身長、さらには尊敬する武将についても話しま…
アフィリエイト広告を利用しています 武田信玄:戦国時代の甲斐の虎 武田信玄(1521年 - 1573年)は、戦国時代の甲斐国(現在の山梨県)の守護大名であり、甲斐源氏第19代当主です。彼は、甲斐の守護を務めた武田氏の第18代当主・武田信虎の嫡男として生まれました。 若き日の武田信玄 信玄は幼名を太郎といい、元服してからは晴信と名乗りました。彼の出生は、父・信虎による甲斐統一の達成期にあたり、生誕地は要害山城とされています。信玄は若くして家督を継ぎ、隣国・信濃に侵攻しました。その過程で、越後国の上杉謙信と有名な川中島の戦いで抗争しました。 武田信玄の政治と戦略 信玄は内政にも力を注ぎ、「甲州法度…
1031年に後ウマイヤ朝が滅亡した後、アル=アンダルスと呼ばれるイベリア半島の南半分は、タイファ時代と呼ばれる混沌の戦国時代を迎えていた。 そのタイファ諸国の1つ、バダホス王国は、アフタス朝の創始者アル=マンスールの孫にあたるウマル・イブン・アルムザッファルの時代に勢力を拡大。エル・シッド率いるカスティーリャ王国軍を撃退し、その領土の一部を奪った他、後ウマイヤ朝の首都クルトゥバも獲得し、首都を移転。トゥレイトゥラ首長国と並ぶアル=アンダルスの二大勢力となった。 だが、急激な拡大の代償として、国内では歪みが生まれつつあった。 カスティーリャ王国から奪ったアビラの支配を盤石にするために、そのアビラ…
燕雀の夢:天野純希 総合:★★★(太閤殿下の魅力度:★ 話の面白さ:★★★) 6話の短編構成で、タイトルは6話目です。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事から来ているタイトルで小説の内容と相まって洒落ていると思いました。 1話目:下剋の鬼~上杉謙信の父(長尾為景)の話 2話目:虎は死すとも~武田信玄の父(武田信虎)の話 3話目:決別の日~伊達政宗の父(伊達輝宗)の話 4話目:楽土の曙光~徳川家康の父(松平広忠)の話 5話目:黎明の覇王~織田信長の父(織田信秀)の話 6話目:燕雀の夢~豊臣秀吉の父(木下弥右衛門)の話 歴史において偉大な息子の陰に隠れてしまった父親達の話です。もちろん、その…
こんにちわ、rekikakkunです。 1590年に行われた、小田原北条氏の防衛戦 を綴り始めて、かれこれ13回目(@_@;)・・・です。 これまで小田原城の防衛強化、総構え、 豊臣秀吉本軍の箱根周辺の城攻略から、 小田原城包囲辺りまで進めてきました。 実は上記の動きとほぼ平行して北条領の北方、 北関東から北条領を攻略する軍団が、 ありました。 前田利家を主将とし、上杉景勝、真田昌幸 といったスター達で構成された北方軍です。 彼らは碓氷峠(うすいとおげ)経由で 信州(長野県)から上州(群馬県)に入り、 まず北西境目の重要防衛拠点である 松井田城に殺到しました。 今回松井田城は探訪しませんでした…
朝、善福寺川沿いを走ってきました。気温2℃でしたが、風がなかったので助かりました。 「日本史1200人」462 長尾政景(マサカゲ;1526〜1564) 戦国武将、上田長尾氏・当主、越後国・坂戸城主、上杉景勝の父、妻は上杉謙信の姉・仙洞院。長尾晴景と景虎(謙信)との抗争で、政景は晴景側についた。晴景が景虎に家督を譲って隠居すると謀反を起こすが、景虎の猛攻に遭って降伏し、和睦の証として景虎の姉・綾姫(後の仙洞院)を正室に迎えた。以後は配下の上田衆を率いて景虎の重臣として活躍し功を挙げたが、1564年に坂戸城近くの野尻池で溺死した。これには、酒に酔って溺死した説、謙信の命を受けた謀殺説などがある…
朝、あまりに寒いので1時間以上も遅く起きて、英語とストレッチをしてから善福寺川沿いを走ってきました。走り出したら意外と楽しいのに驚きました。 「日本史1200人」461 長尾晴景(ハルカゲ;1509〜1553) 越後長尾氏8代当主、戦国大名、上杉謙信の兄。守護代・長尾為景の嫡男として生まれ、1540年、父の隠居により家督を譲られた。父の為景と異なり穏健な政策をとり、領内の国人との融和を図ったが、国内の情勢はますます不穏になった。そのような中、城下の寺院へ入門していた弟の虎千代(景虎、後の上杉謙信)が還俗して反乱を鎮め家中での名声を高めると、家臣の一部は景虎の擁立を望むようになり、長尾家は家中…
ひさびさに小説を読んだ。 「銀河鉄道の父」ってやつ。 タイトルを見て「銀河鉄道の夜」じゃないの? って思った人は小説読む人だね。 「銀河鉄道999」じゃねえの? って思った人はアニメ好きかな。 私は読んだのは「銀河鉄道の父」でまちがいありません。 「銀河鉄道の夜」の作者は宮沢賢治。 で、「銀河鉄道の父」は宮沢賢治の父、政次郎が主人公だ。 この作品の前に小説を読んだのは去年。 「天と地と」という上杉謙信が主人公の小説だ。 それ以来だなぁ。 一応、読んだ本の感想をブログにしようと思っている。 でも、感想を言語化するの、実は得意ではない。 (じゃあ、ブログ書くなよって話だけどね) いろんな人のブログ…