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世阿弥

(アート)
ぜあみ

観阿弥(1333〜1384)の息子。1363〜1443(?)。実名=元清。
父;観阿弥と共に幽玄な猿楽能を大成させた。
1374年(建徳5)、11歳にして初めて将軍;足利義満の前で
「千歳」〔センザイ〕という大人の役を演じ、
義満に大いに気に入れられ、
1378年(天授4)、15歳の頃にはこの将軍の横に座して
特別待遇の元、「祇園祭」を鑑賞したりした文献記録が残っている。
1384年(弘和4)、父;観阿弥の死に因り、22歳にして
「観世座」の座長に就任。
1399年(応永6)、義満が太政大臣に退き、
新将軍の義持のために祝祭3日の興行を打つのであるが、
これが大成功裡に終わり、
確固たる再評価を受け、自信も着き、この翌年、
30代なかばにして、有名な理論書;『風姿花伝』
(いわゆる「花伝書」)を書く。
1408年(応永15)、5月に義満が亡くなり義教に交替、
次第に用いられなくなり、どんどん凋落の一途、
元雅〔もとまさ〕・元能〔もとよし〕の二人の息子も散々な転落人生を送り、
更に――、
1434年(永享6)、義教はなんと(!)、
既に70歳を超えていた世阿弥を
佐渡に島流しにしてしまう!
1441年(嘉吉1)、「嘉吉の乱」で赤松満祐父子に義教が暗殺され、
恩赦が与えられて娘婿の高弟;
金春禅竹の元で老後を送る。
1443年(嘉吉3)、世阿弥、死去。

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