プロ野球チーム。一軍はセ・リーグに所属。
親会社は中日新聞社。
リーグ優勝9回(1954,1974,1982,1988,1999,2004,2006,2010,2011)。
日本一2回(1954,2007)。アジアチャンピオン1回(2007)。
概要
- 法人名
- 株式会社中日ドラゴンズ
- フランチャイズ
- 名古屋市
- ホームスタジアム
- ナゴヤドーム(1996年までは中日球場→ナゴヤ球場(名称変更))
- チームカラー
- 群青と赤紫
- チームマスコット
- シャオロン、パオロン、ドアラ
- 球団歌
- 「燃えよドラゴンズ!」
沿革
- 1946年リーグ戦再開に伴い、チーム名を中部日本(愛称「中部」)とする。
- 1947年、当時のオーナーだった中部日本新聞社社長・杉山虎之助の干支である辰の英訳「ドラゴン」から「ドラゴンズ」を愛称とする。
- 1948年、中日ドラゴンズに改称。
- 1951年、名古屋新聞・名鉄などの地元企業と共同出資による名古屋ドラゴンズに改称。
- 1953年、名古屋企業の撤退により、中日ドラゴンズに戻す。
- 1954年、球団史上初のリーグ優勝。西鉄ライオンズを破り、日本一を果たす。
- 1958年、西沢道夫、服部受弘が現役引退。背番号15番、10番が永久欠番となる。杉下茂が選手兼任監督に就任。
- 1974年、20年ぶり2度目ののリーグ優勝を果たす。
- 1977年、「中日球場」が「ナゴヤ球場」に名称変更。与那嶺要が勇退。
- 1978年、中利夫が監督に就任。
- 1981年、近藤貞雄が監督に就任。
- 1982年、「野武士軍団」「強竜打線」で3度目のリーグ優勝を果たす。
- 1984年、史上最高の「強竜打線」で臨むも、2位となる。
- 1986年、山内一弘が休養し、高木守道が代理監督を務める。
- 1987年、星野仙一が監督に就任。
- 1988年、4度目のリーグ優勝を果たす。
- 1992年、高木守道が2度目の監督に就任。
- 1994年、世紀の10.8決戦で敗れ、リーグ優勝を逃す。
- 1996年、星野仙一が2度目の監督に就任。
- 1997年、ナゴヤドームに本拠地移転。守りの野球に転換。
- 1999年、5度目のリーグ優勝に輝く。
- 2002年、山田久志が監督に就任。
- 2004年、落合博満が監督に就任。6度目のリーグ優勝を達成。
- 2006年、安定したチーム力を見せ、7度目のリーグ優勝を達成。
- 2007年、レギュラーシーズン2位も、クライマックスシリーズで優勝。
- 同年、北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズで4勝1敗、53年ぶり2度目の日本一に輝く。
- 同年、アジアシリーズも制し、アジアチャンピオンに輝く。
- 2010年、8度目のリーグ優勝を記録。クライマックスシリーズと合わせて初の完全優勝。
- 2011年、球団として初の連覇で9度目のリーグ優勝。
- 同年、落合博満が監督を勇退。
- 2012年、高木守道が3度目の監督に就任。
- 2014年、谷繁元信が監督に就任。落合がGMに就任するなど大幅な人事異動を行う。
歴代監督
第二次(1954年以降)
- 天知俊一(1954)
- 野口明(1955-1956)
- 天知俊一(1957-1958)
- 杉下茂(1959-1960)
- 濃人渉(濃人貴実)(1960-1962)
- 杉浦清(1963-1964)
- 西沢道夫(1964-1967)
- 杉下茂(1968)
- 水原茂(1969-1972)*1
- 与那嶺要(1973-1977)
- 中利夫(1978-1980)
- 近藤貞雄(1981-1983)
- 山内一弘(1984-1986)
- 高木守道(1986)
- 星野仙一(1987-1991)
- 高木守道(1992-1995)
- 星野仙一(1996-2001)
- 山田久志(2002-2003)
- 落合博満(2004-2011)
- 高木守道(2012-2013)
- 谷繁元信(2014-2016)*2
- 森繁和(2016-)*3
関連キーワード
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