【『男たちの旅路/車輪の一歩』(2)】 中村「山田さんとつき合いのあった若者たちが稽古場へも来てくれて、車椅子から降りたらどうするかとか。少女(斉藤とも子)のアパートが階段になってるので、どうするか。匍匐前進みたいにするのを、稽古場で自らやってくれましたね。随分知らない世界を知りながらつくったドラマ。
脚本家・山田太一の代表作としてよく挙がるのが『岸辺のアルバム』(1977)と『男たちの旅路』(1976〜1982)。
山田「(近年の脚本家軽視の流れを)憤慨しています(笑)。脚本家は自分の物語が書きたいからなったわけでしょう。小説家がマンガのノベライズを書けって言われているようなもので、20〜30代の大事な時期を賭けてるのに。しかもひとりっきりで、会社に入るわけでもなく。それが、小説やマンガの脚色ばかり。いまはすごく歪んでいると思いますね。どこかの局は、原作がないと企画にならない、と。川口幹夫さんの築いてくれた作家主義、短い間でしたけど、ほんとにありがたかったですね」
山田太一脚本の『花の森台地』(1974)、『高原にいらっしゃい』(1976)、『緑の夢を見ませんか?』(1978)に、三田氏は出演した(『緑の夢』では主演)。 山田「『花の森台地』は、あのころ建て売りの住宅地が流行り出した。(建て売りが)売れないので、会社の人を住まわせて、見に来た人にこんなに愉しいってモデルルームにする。だから人が来たときは、喧嘩もできずハッピーにしなきゃいけないっていうコメディーです。
国会図書館にて脚本アーカイブスのシンポジウムが行われて、脚本家の山田太一先生が参加。他に三田佳子、『男たちの旅路』(1976〜1982)などの演出家・中村克史、『6羽のかもめ』(1974)などの嶋田親一プロデューサーの各氏が登壇した。司会は岡室美奈子・早稲田大学演劇博物館館長が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。