歌舞伎役者、映画俳優 大正9年 (1920年) 8月20日生まれ。 東京生まれ。父は6代目 大谷友右衛門。 昭和2年、市村座で大谷広太郎を名乗り初舞台。 昭和15年出征。6年間の軍隊生活を経て復員。 昭和22年、女形として再スタート。 昭和23年、7代目 大谷友右衛門 襲名。 昭和25年、映画デビュー。 昭和39年、4代目 中村雀右衛門 襲名。 平成3年、重要無形文化財(人間国宝)に指定される。 平成16年、文化勲章受章
私事(わたくしごと)―死んだつもりで生きている
人物像 高橋睦郎 人物像 高橋睦郎 山川静夫 その歌右衛門のことを尊敬していたのが、四代目雀右衛門です。歌右衛門とは三歳しか違わず同世代といってもいいのに、雀右衛門はつねに謙虚で歌右衛門を尊敬し、指導を受けていました」 高橋睦郎 なにしろ尊敬し続けていましたね。雀右衛門にはかわいがってもらって、ずいぶんお酒も飲んだんです。酔っ払わせて歌右衛門の悪口をいわせようとするんだけど、どんなに酔ってもいわないの「あなたね、わたしがなんとかやれてるのもお兄さんがいらしたからなんだよ」って感じでねぇ。苦労したぶん、本当に優しい人でした。だから歌右衛門も自分の代役ってほとんど雀右衛門に頼むんです。朝早く電話が…
今月の昼の部の二つ目の演目は、四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言として「傾城道成寺」がかかりました。 四世中村雀右衛門(1920~2012)は、昭和2(1927)年に初舞台を踏んでから立ち役を中心に活躍していました。昭和15(1940)年に兵役につき、南方戦線をまわり、スマトラ島で終戦を迎え、昭和21(1946)年帰国。翌年から舞台に復帰しましたが女方に転向。その理由に戦争体験があるのかはわかりませんが。 雀右衛門は、関西で様々な人の相手役をすることで芸域を広げたそう。 そんな雀右衛門が大切にしたのが「道成寺物」。「道成寺」は『京鹿子娘道成寺』が有名ですがそのほかにもたくさんの道成寺ものがありま…