個人差は入口か 逃げ口か 野口晴哉 体育の場合でも、医療の場合でも、個人差を言う時はいつも逃げ口上の時である。何故、個人差ということで逃げるのかというと、そのことが分からないからである。 そして、その行為する責任を、その個人に押しつけて、指導者または医者の責任を少なくしている。ペニシリンショック死の特異体質、生理構造の個人的特性等々、逃げる為に個人差は使われているが、これを入口として研究を進めない限り、体育は個人の健康増進に寄与しないし、医術は医学のものになって、いつになっても個人のものにならないのは当然であろう。 『月刊全生』平成11年10月号 巻頭言 太字引用者 客観性・論理性・普遍性(そ…