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中東戦争

(社会)
ちゅうとうせんそう

Arab-Israeli Conflict(英)

中東で行われた戦争。
固有名詞として使う場合は、普通は第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)から第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争、十月戦争)までのイスラエルとアラブ側の戦争を指す*1

1991年湾岸戦争のことを第五次中東戦争と呼ぶことがある。

第一次中東戦争

1948年。イスラエル独立戦争。
パレスチナへのユダヤ人の流入によってアラブ人との対立は深まり、英国の委任統治の末期は一触即発というか常時発火状態だった。委任統治終了の直前、1948年5月にベングリオンはイスラエルの独立を宣言。周辺のアラブ諸国との戦争状態に突入した。
全周から圧倒的な兵力で攻撃を行うアラブ側によってイスラエルの消滅は時間の問題かとも思われたが、寄り合い所帯のアラブ諸国と後がないイスラエルとでは戦いのモチベーションに大差があった。
イスラエルは死にものぐるいで武器と兵力をかき集めて戦い、最終的には1947年の国連のパレスティナ分割決議に定められた以上の領域を確保して周辺諸国との休戦に成功した。
この戦いによって、今日まで続く多数のパレスチナ難民が発生した。

第二次中東戦争

1956年。スエズ動乱。
エジプトのナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言。建設者兼オーナーであるフランスやイギリスはこれに反発。イスラエルのシナイ半島攻撃に乗じて英仏はスエズ運河地帯の占領を企てた。
が、米ソ両超大国を含む国際世論の激しい反発を招き、撤兵を余儀なくされる。もはや植民地帝国の時代が終わったことを満天下に知らしめた。

第三次中東戦争

1967年。六日戦争。六月戦争。
シリアでバース党が政権を握ると、彼らはパレスチナゲリラに支援を与える。エジプトはヨルダンと同盟を結び、ティラン海峡の封鎖を発表する。危機感を持ったイスラエルはシリアとエジプトとヨルダンに対する先制攻撃を決定。
6月5日にイスラエルの行った完璧な奇襲攻撃によって始まった戦いは、わずか6日間でイスラエル軍がシナイ半島、ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原などを占領、世界史上希に見るパーフェクトゲームに終わった。

第四次中東戦争

1973年。十月戦争。ヨム・キップル戦争、ラマダーン戦争。
アラブ・ナショナリズムの申し子であるナセルの後を継いだエジプトのサダト大統領は、ソヴィエトからミサイルをはじめとする新兵器を大量に導入するとともに、シリアとヨルダンと同盟する。さらに、本来戦争が極めて困難なはずの断食月(ラマダン)期間中で、かつユダヤ教大祭日である贖罪の日(ヨーム・キップール)に開戦することで奇襲に成功する。
奇襲を受けたイスラエル軍はいつもの習性で戦車と空軍力で反撃を開始しようとしたが、ソ連製のミサイルで構築された対空陣地や対戦車陣地によって大損害を受ける。アラブ側の結束も乱れず、イスラエルは建国以来最大の危機的状況に陥る。
これを見たアメリカはイスラエルへの緊急援助を決定、直接介入こそなされなかったものの、大量の兵器が送り込まれた。イスラエルも動員を行って戦力増強を図り、反撃を開始。
最終的にはダマスカスとカイロを臨むところまでにイスラエル軍が進撃したところで停戦になるという展開で終わった。とはいうものの、「勝利した」イスラエルの受けた衝撃は非常に大きく、また、ソ連製ミサイルの威力を見た西側軍事筋も大いに動揺した。
アラブ側も連戦連敗の状態に終止符を打ったことでメンツを立て、1978年にエジプトはイスラエルとの単独講和を結ぶことになる。

*1:なお、「第○次中東戦争」という表現は日本固有のものであって、世界的にはあまり用いられない。また、数える場合でも1969年〜1973年のWar of Attrition(消耗戦)や1982年のレバノン侵攻を含めることが多い

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