造園家。「昭和の小堀遠州」といわれた。1917(大正6年)8月28日、静岡県磐田郡天竜村下岡田(現磐田市下岡田)に生まれる。 県立浜松工業学校(現浜松工業高校)、東京造園学校(現東京農大)卒。 京都府技師、京都府教委文化財保護課長補佐、学校法人裏千家学園茶道専門学校講師、中根庭園研究所長、国立奈良女子大学文学部非常勤講師、大阪芸術大学教授、同大学環境計画学科長、大阪芸術大学長兼浪速短期大学長を経て、平成7年3月1日、77歳で永眠。
三方原の戦いの三方原。 磐田市出身の世界的造園家である中根金作の庭園として、磐田市の瑞龍山宝珠寺とともに、遠州地方で見ることができる庭園のひとつが三方原にある浜松工業高校の庭園です。 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康
磐田市豊島(JR磐田駅の南)の瑞龍山宝珠寺は、創建1350年とされる名刹です。 日吉丸(後の豊臣秀吉)が浜松の松下屋敷にいたころ、 松下長則が宝珠寺に囲碁に訪れたとされます。日吉丸が供として、対局を待つ間、この宝珠寺本堂の廊下で寝ていたという言い伝えがあるそうです。 JR磐田駅の南には、徳川家康が愛用した中泉御殿がありますが、豊臣秀吉、徳川家康といった日本史の重要人物が行き来していたと想像すると興味深いものがあります。 また、この寺には、磐田市出身の世界的な造園家で「昭和の小堀遠州」と言われた中根金作が、1981年に作庭した「涅槃の庭」があります。遠州地方で、遠州出身の世界的造園家が作庭した庭…
通常非公開である建仁寺塔頭霊源院が特別公開をしていたので拝観してきた。 建立当初は、現在の総合大学としての機能を備え、「建仁寺の学問面」を代表する寺院であった(パンフレットより)。今川義元や一休宗純も修行をしていて、彼らの書が残されているほか、織田信長の書状もあった。 このお庭は、鶴鳴九皐(かくめい きゅうこう)と名付けられた令和の枯山水庭園であり、作庭家中根金作の孫二人が初めて手掛けた庭である。 今回の目玉は、天井画の龍であった。これを描いたのは、中国の若手写真家であり、座禅体験をきっかけに依頼することになったようである。 丁度住職が説明をしてくれたのだが、畳に仰向けになって天井を眺めること…
妙心寺の数ある塔頭の中で一番有名なのがこの退蔵院である。 狩野派の絵師狩野元信作と伝えられる枯山水の庭園と、池泉回遊式(昭和の作庭)の二つの庭園がある。 この寺を有名にしているのは、庭園よりもこの絵であろう。国宝瓢鮎図は禅の公案を基に描かれていて、ぬるぬるしていてただでさえ掴まえにくい鯰を瓢箪でどうやって捕らえるかということを絵にしてある。のらりくらいしていてとらえどころのないことを「瓢箪鯰」というのは、この絵から来ているらしい。本物は京都国立博物館にあり、これは写真である。 お寺の壁もこれに因んでいて、面白かった。