大分県中津市にある城。中津藩の城として福沢諭吉旧居と並び、城下町中津を代表する観光名所となっている。 1587年に黒田孝高(如水)築城に着手したが福岡藩に転封され築城が中断。その後、細川忠興が築城を再開し1621年に完成した。天守閣は1964年に観光開発を目的として鉄筋コンクリートで建築されたいわゆる模擬天守であり、江戸時代には無かったものである。
大分県北部の都市・中津市にある中津城は、福岡県と県境にある中津川の河口沿いにあります。水門から海水が入り、堀の水かさが潮の干満で上下する水城です。高松城、今治城とともに日本三大水城の1つです。 (中津城の歴史)中津城は400年以上前からあるお城です。1588年(天正16年)、黒田官兵衛(孝高)が中津城の造営を開始。1600年(慶長5年)、黒田氏の代わりに入城した細川忠興が、黒田官兵衛の計画を引き継ぎ、ほぼ現在の中津城の形が整う。1632年(寛永9年)、細川家に代わって譜代大名の小笠原長次が入り、城下町の整備を行う。1717年(享保2年)、譜代大名の奥平昌成が中津城に入城。1871年(明治4年)…
2023.02.16(木) 温泉県大分へ!冬休みの前半は大分に行くことにします。 東京・品川駅から京浜急行で羽田空港へ 時刻は8時半。フライトは9時40分、またまたギリギリです。 羽田空港。冬晴れで富士山もクッキリ 今回はJALで! 大分行きはバス&タラップ 羽田発9時40分のJAL663。機材は737-800。 機内持ち込みおやつ 岡山の大手まんじゅう 大分空港到着は11時25分 大分空港は「宇宙港」になっていました。 ニッポンレンタカーの予約は12時から。 今回のお供はフィット君 「和食工房 東 (SAKI)」さん もうお昼、レンタカーの方に教えていただき、やって来たのが「東」さん。 12…
2023.02.16(木) 今回は大分県中津市二ノ丁の「中津城」です。 「黒田官兵衛(黒田孝高)が築いた九州で最古の近世城郭の一つ」 本丸から見る「中津城模擬天守」 続日本100名城スタンプは模擬天守内部でGETしました。 模擬天守最上階 天守より本丸内部方向(南側)を見る 内堀と大鞁櫓(だいひやぐら) 天守より二の丸(北側)を見る 中津川が海に続きます。 推木門跡の傍にあった案内板 このお城は中津川沿いに直角三角形となっています。 推木門跡から模擬天守方向を見る 模擬天守と大鞁櫓(だいひやぐら) 模擬天守は萩城天守をモデルに昭和39年(1964)に建設されました。天守自体存在が不明で、大鞁櫓…
田舎めぐり17回目です。 もう少し中津城、天守閣からの景色です。それと少し下町を! それでは、この辺で、またの機会に!
田舎めぐり15回目です。 中津城に上りました。 それでは、この辺で、またの機会に!
田舎めぐり14回目です。 中津城の付近を散策しています。 山車の試し引きをしていました。 それでは、この辺で、またの機会に!
田舎めぐり13回目です。 実家に帰ってきました。台風の影響で阿蘇や熊本地方へ遊びに行けませんでした。 中津城です。 それでは、この辺で、またの機会に!
中津城(大分県中津市)に行きました。 築城主は黒田官兵衛(如水)、中津藩出身には福沢諭吉と、有名人とゆかりのある城です。 遺構はあまり残っておらず、天守も模擬ですが、堀・石垣・天守の組み合わせはなかなかの景観です。 堀・石垣・天守 堀・石垣 売店で買ったもの:絵はがき からあげ定食 中津といったらからあげなので、城外のお店でからあげも食べました。おいしい。
現在旅行中により、新規ブログを書く時間がないので、書き溜めていた過去のお城訪問回顧録をアップします。 訪問日:2018年4月29日 中津城へのアクセス 中津城の歴史 城公園内の案内 利用案内 おまけ 中津城へのアクセス JR日豊本線「中津駅」から徒歩約15分 中津城の歴史 中津城は、1588年黒田官兵衛によって着工されるも完成には至らず、10年以上過ぎたあと、黒田氏に代わって入邦した細川忠興が改修。完成後、忠興は中津城を隠居地としました。 細川氏のあとは、小倉城の支城から中津藩として独立。小笠原氏、奥平氏と徳川の譜代が治める城となりました。 ですが、完全に中津城は官兵衛押しでした。 城公園内の…
中津城天守と二重櫓 by:photo-ac 大分県の中津城は、福沢諭吉の出身地・中津に、軍師・黒田勘兵衛が築城した城です。 西側に山国川、北側に周防灘を配した堅城中津城は、満潮になるとさながら海に浮かぶ城のように見えたと言われていますよ。 中津城は、「続日本100名城」(第191番)に選定されている平(水)城で、三大水城(※)の一つ。 別称は丸山城、人家(じんか)城、扇(せん)城、小犬丸(こいぬまる)城です。 私が初めて登城したのは、1999年11月12日のことでした。 ※三大水城:中津城、今治城、高松城 ▶黒田如水(官兵衛)についてはこちら。 豊臣秀吉は九州平定後の天正15年(1587)、鎌…
大分県北部の都市・中津市中津城趾の公園地内にある神社・中津大神宮。ここには日露戦争の砲弾が奉納されています。 (日露紀念の砲弾)こちらが神社に奉納されている日露戦争の砲弾です。礎石には「日露紀念」との文字が彫られています。 身長175センチのおっさんが横に立つと・・・ (どうして神社に砲弾??)各地の寺院や神社に行くと、砲弾が奉納されているのを見ることがあります。これは1895年(明治28年)に終了した日清戦争の後、陸軍戦利品整理委員会が戦争記念品として自治体に分配し、そこから寺院や神社、学校、役場などに分けられたことから始まったものです。 特に当時の5大強国の1つであった大国・ロシアとの戦い…
13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷塔については実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [37] 大分県① 中津市 《 中 津 城 》 2002.02.22 県道108号線の山国川に架かる山國橋にて見る中津城。左端の建物です…中津市 2002.02.22 中津城と中津神…
駅ビルタワーや駅前広場が青く照らされた井原駅 手話言語の国際デー(23日)にちなみ、岡山県井原市は井原駅で初のブルーライトアップをしている。手話は言語という認識を広め、共生社会につなげる国際的の取り組みの一環。29日まで。 高さ20メートルの駅ビルタワーの発光ダイオード(LED)照明12個と駅前イベント広場の街灯20基を利用。市職員や聴覚障害者らが青のフィルムで覆い、日没後に自動点灯する。青は国連や世界ろう連盟のロゴの色で、世界平和を表すという。 市は2018年4月に手話言語条例を施行し、手話を使って安心に暮らせるまちづくりを掲げる。市聴覚障害者協会の佐藤正士会長(55)は「手話通訳の登録者は…
山内家24万石高知城現存天守と追手門 日本全国にあるお城。見ていく中で「ん?」と感じたことを書いていく「かるーいお城の雑学」です! 今回は大名の家格と城について、みていきましょう。 「徳川幕府諸侯格式一覧表」 「城」を築き、持てる大名は、江戸時代では原則1万石以上の大名でした。 それ以下の大名(領主)は陣屋しか持つことが許されていなかったのですね。 しかし、1万石以上であれば誰でも城を持てたかといえば、そうではありませんでした。 上の「徳川幕府諸侯格式一覧表(慶應年間排列)」は、昭和46年(1971)10月31日に中津城文化保存会から発行されたもので、奥平昌信氏が著者です。 「慶應年間排列」と…
こんにちは、勘矢です。 今回は奥平家について調べたことをまとめました。 1. 奥平家とは 2. 加納藩奥平(松平)家 3. 豊前中津藩奥平家 (1)3度宇都宮に封ぜられた (2)丹後宮津を経て豊前中津へ (3)江戸後期の豊前中津藩主 1. 奥平家とは 上野国甘楽郡奥平(群馬県高崎市吉井町)の発祥で、貞俊のときに三河国設楽郡作手(愛知県新城市)に移り、近隣の菅沼氏らとともに山家三方衆と呼ばれた。貞昌は今川氏に属し、その子貞勝は松平氏・今川氏に従い、のち武田氏に属した。貞勝の子貞能は徳川家康に属したが、一時武田氏に属した。 1573年に武田信玄が没すると密かに家康に帰属することにし、家康は誓書を送…
切れかけていたスカイコインを使って大分旅行に行ってきました。その⑩小倉城と宇佐神宮訪問記です。 目次 小倉城(続日本100名城巡り16) 宇佐神宮 小倉城(続日本100名城巡り16) www.100finecastles.com 中津城、福澤諭吉記念館を見終わったのが昼の11時ごろ。大分空港発は夕方の飛行機なので、それから空港に行っても時間があり過ぎ。どうしようか考えたのですが、中津は福岡県との県境で、北九州くらいだったら十分往復できるなと思い、小倉城まで足を延ばすことにしました。 小倉は交通の要所だったので、古くからこの辺りの豪族達が城を築いていましたが、小倉城は1500年代半ばに中国地方の…
期限が切れかけていたスカイコインを使って大分旅行に行ってきました。その⑨中津城と福沢諭吉資料館訪問記です。 目次 中津城(続日本100名城巡り16) 福澤諭吉旧宅・福澤記念館 中津城(続日本100名城巡り16) www.100finecastles.com スーパーホテル別府駅前を出て、本日の最初の訪問先の中津城にやってきました。 中津城は、大分県と福岡県の県境にある中津川の河口にあり、堀に海水が流れ込んでいる水城です。高松城、今治城とともに日本3大水城の一つに数えられています。 1588年に黒田官兵衛が築城し、1600年に入城した細川忠興がほぼ完成させました。 その後小笠原、奥平氏の徳川譜代…
期限が切れかけていたスカイコインを使って大分旅行に行ってきました。その⑧スーパーホテル別府駅前宿泊記です。 目次 ほんと別府駅からすぐでした ホテル内部の様子 ウエルカムバーでお酒が飲み放題です 晩ご飯は天丼のテイクアウト 無料朝食もよかったです ほんと別府駅からすぐでした 別府地獄めぐりを堪能し、本日のお宿へやってきました。 別府のどこの宿にしようか悩んだのですが、最初今はやりのオールインクルーシブのちょっとお高めの宿を予約。でも口コミなんかを見ると、某大陸の国の人等のインバウンドの人たちがメッチャ多くて、マナー最悪なんて書き込みを見たのでそこをキャンセル。リーゾナブルな価格で評判のいいこち…
こんにちは、クラセです😄 地図や歴史が好きなので、時間が空いた時などにYahooやGoogleでお城や歴史スポットを眺めています。 「〇〇市の観光と〇〇城をセットにできないか?」と、自分で旅程を考えるのも好きです。 しばらくは家族旅行も行けなそうなので、妄想で好きな武将のお城を巡る「コスト度外視の旅」を楽しもうと思います。 私が好きな武将は、藤堂高虎(築城名人)と仙石秀久(復活名人)なので、この記事は「藤仙記」と名付けます。 一緒に楽しんでいただけたら、なお嬉しいです。 基本ルール ①藤堂高虎(★)と仙石秀久(◆)の縁のある城・名所を1日1箇所は巡る ②移動手段と時間は、現状の検索情報に従う …
中津の発展は黒田官兵衛の中津城築城に始まり、中津城は小倉藩の支城時代を経て、中津藩の政庁として江戸時代を通して発展を続けました。 (中津城)
【最近のつぶやき】 Windowsがシステムダウン? 原因はWindows本体ではなくセキュリティーソフトにあったようだが、大手企業の多くが採用しているソフトらしく世界中が大混乱。と言ってコンピューターの無い社会に戻る事は考えられず個人での防衛策にはおのずと限界がある。「キャッシュレス」に100%依存せず多少の現金も持ち歩くとかしか思いつかないが、果たしてその効果は? 秘密基地の近くの商店は「キャッシュレス」に一切対応していない、対応する気も無いと。 この親父(商店主)意外とコンピューター社会の脆弱性を熟知しているのかも? 見かけは超アナログなんだけど・・・ 本題です。 今回も2日間纏めての公…
日本100名城の城址スタンプ廻り、観光さんぽ実体験レポートになります。100名城を廻ると47都道府県を全て巡ることになります。この日本一周の旅をマイペースに綴っていけたらと思うのでよかったら気楽に目を通してみてください!今回は今治城を紹介しています!(2024年7月) マップ 鉄卸門 二の丸 吹揚神社 天守閣 100名城スタンプ 終わりに マップ 今治城のマップです。 ①鉄卸門 ②二の丸 ③吹揚神社 ④天守閣 上記の順番で回りました。 鉄卸門 今回は車で今治城へ行きました。車は岩国城の有料駐車場へ停めました。 水堀です。 今治城の水堀は50mから70mあるので弓矢の射程距離を超えるものとなって…
北条儀為誅伐、来春*1至于関東被成御進発条、其方事人数*2五百召連、二月中旬有上洛、尾州星崎城*3請取、自身可被在番候、委曲輝元*4・隆景*5江相達候*6、猶浅野弾正少弼*7・黒田勘解由*8可申候也、 極月*9四日*10 (朱印) 吉川侍従とのへ*11 (四、2828号) (書き下し文) 北条の儀誅伐のため、来春関東に至り御進発なさるるの条、その方こと人数五百召し連れ、二月中旬上洛あり、尾州星崎城請け取り、自身在番せらるべく候、委曲輝元・隆景へ相達し候、なお浅野弾正少弼・黒田勘解由申すべく候なり、 (大意) 北条征伐のため年明け早々関東に向け秀吉様が御出発なされると決まった。ついてはその方は軍…
1万円札の肖像画として有名な福沢諭吉。その福沢諭吉に変わり2024年(令和6年)7月3日に、新しい1万円札が登場します。・・と言うことで、1万円札の男・福沢諭吉が過ごした大分県中津市の旧宅に行きました。 (中津が産んだ偉人・福沢諭吉)中津は福沢諭吉が過ごした土地と言うことで、、まず駅前・・ そして、道路も。。 大分県中津市は、慶應義塾大学の創始者で、1万円札の顔でもある福沢諭吉の出身地としてPRしています。 (18年間過ごした福澤諭吉旧居)福沢諭吉は、下級武士出身で、幕末の1835年1月(天保5年12月)に中津藩の大阪蔵屋敷で生まれます。しかし父親がすぐに亡くなったため、1歳6カ月の時に大分中…