作家。
1920年、福岡県生まれ。旧制八女中学卒業後、旧満州を経て1938年、北京遊学。邦字紙『東亜新報』の記者をつとめつつ文学活動を開始。帰国後の1950年、『近代文学』に「烙印」を発表し、作家生活へ。 主な作品に『闇のカーニバル』(第34回日本推理作家協会賞)、『北京飯店旧館にて』(第44回読売文学賞)、『鳥居龍蔵伝』(第22回大仏次郎賞)など。 1996年、神奈川文化賞受賞。2002年4月9日、死去。
中薗英助『北京飯店旧館にて』(筑摩書房、1992) この短篇集が出現したときの衝撃は、忘れられない。 それまで中薗英助とは、面白いミステリー小説を読ませてくれる小説家とのみ思っていた。とくにスパイものという分野の先駆者的小説家だと。 『スパイの世界』(岩波新書、1992)という、国際情勢の裏面にまつわるドキュメンタリーなんだか、ミステリー小説の裏噺といった解説的読物なんだか、つまり教養なんだか娯楽なんだか、得体の知れぬ面白い本も出ていた。そこへ突如として『北京飯店旧館にて』が刊行されたのである。 大感動というのではなく、大ビックリというのでもない。そのように手軽に云ってしまっては失礼に当るよう…
鳥居龍蔵の一部の研究者は知っているだろうが、龍蔵の長女幸子の夫は仏文学者の萩原弥彦であった。私が気付いたのは、和田博文監修「ライブラリー・日本人のフランス体験」第3巻(柏書房、平成11年7月)として復刻された『あみ・ど・ぱり』2巻1号(巴里会、昭和10年1月)を読んでいた時であった。旧Twitterでこの発見をつぶやいたのは、平成23年11月のことだ。パリに滞在していた洋画家海老名文雄*1を調べていて、瓢箪から駒だった。今では国会デジコレで読めるが、同号の「雑記」から引用しておこう。 ▲鳥井[ママ]龍蔵氏は息女幸子さん(萩原弥彦氏夫人)及緑子さんを連れて、愛息龍男君のお墓参りに巴里に行かれる由…
人形シリーズ 川崎編 昨日は朝ストレッチして、お湯を沸かしてお茶をあげて、出かけました。その後ラジオ体操。ストレッチしやすい季節。スポーツの秋。 「誕生日教えて」と言われてほんとの誕生日を云わない人。「ふつう言わないでしょ。個人情報だもん」しかし違う日を教える理由にはならない気瓦斯。 Webメーラーの一覧画面から迷惑メールの拒否設定出来るようにしてほしい。いちいちメール開いてからでないと拒否設定出来ないとかおかしいです。 今日は眼鏡クリーニングをして、ハガキを二枚お店に落としてきました。来店者数に貢献。雨が降ってきたので、自転車は地下駐輪場に置いたまま。明日とりに行って、コロナワクチン接種です…
⓪ ja.wikipedia.org ①池上永一『風車祭』のオバアは、風邪予防で、猫の首をもぎとって、戸口に飾っていました。このお話よりサクッとエグいと思ってます。世のおっぱい星人をすべてなぎ倒す、豚の化身なので、豚と同じ数(八個)オッパイのある美女と中学生男子のセックル場面もあった気がしますし。 風車祭 3巻 作者:栗原 まもる,池上 永一 ビーグリー Amazon まんがは読んでません。この子は手の甲に墨がない。 ②どうも、怪奇大作戦かウルトラQでもそんな話がある気がしたのですが、検索で出ません。おおもとのポーが出るだけ。 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp 下は青…
1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹…