昨日の続き・・・というか、昨日を引きずっている。 司馬さんが言われた「無為にして化す」から入りたい。「無為」である。金谷治『老荘を読む』(大阪書籍)では「ことさらなわざとらしいことはしないこと」と言っている。人間の営みとして生み出されてきた文明文化(わざとらしいこと)を否定する、これが「無為」という思想なのかな?ますますわからなくなってきた。 岡先生は「“無為にして化す”は老荘の無であって、禅のいう無ではすでに足りません。禅のいう無はその下に置くべきです」と言われる。禅を善しとする永平寺門徒のワシャとしては、禅の思想が「老荘の下」と言われると、やや懐疑的にならざるを得ない。では、岡先生の言われ…