漫画雑誌編集者、元講談社取締役。 1930年(昭和5年)、生まれ。2016年(平成28年)12月15日、死去。 2001年(平成13年)、手塚治虫文化賞特別賞を受賞。
まんがのカンヅメ―手塚治虫とトキワ荘の仲間たち
トキワ荘実録(小学館文庫)
【マンガの表現について】 水野「私たちの世代は映画と同じような表現に力を入れ始めた世代で、前の世代と圧倒的に違うところです。ページ数をもらえるようになると、余韻のようなものを映画のように描きたかった。
【U・マイアの想い出 (2)】 水野「最初の「赤い火と黒かみ」は私が下関なので、東京と山口とに離れて描きました。個人の家には電話もなくて、電報と速達でやりとり。締め切りもあるのにそういう形でやって大変でした。秋にスタートして、向かいの商店に電話の取り次ぎをお願いして○日の△時に電話するという電報が来て(その時刻に)待機してると、向かいのおじさんが「電報だよー」って(間の)国道は距離があるんですが走ってきてくれて。
若きマンガ家たちのつどったトキワ荘の紅一点・水野英子。いまは少女マンガの巨匠だが、水野と石ノ森章太郎、赤塚不二夫という三大巨匠が合作した時期があった。