「歎異抄」の一節に次のやうな言葉がある。「親鸞は、父母の孝養のためとて、一遍にても念仏まうしたることいまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏になりてたすけさふらふべきなり。」 これは孝養の否定ではない。むしろ孝養に伴ふエゴイズムの否定である。キリスト教に謂ふ「隣人への愛」のために、すべてを父母のごとく愛しようといふ発願に由る。この大いなる仏の愛によつて、父母をも包摂せんといふのである。「我」の愛でなく、「如来」の慈悲による父母への孝養といふ形をとる。 ――亀井勝一郎「家族といふもの」 この亀井の文章には面白い発見というものが含ま…