「神の試練」 そもそも 世界には理不尽な事態がある。 快不快に関わらず… 快を理不尽とは呼ばない、おかしなことだ。 その点、東洋には「中庸」を最高の目標とする考えがある。 さて、敬虔なる民は、不快な理不尽を「神の試練」と称する。 虎より猛き苛政も 天変地異の大被害も 諦めて受け入れて立ち上がれるように このような装置が考え出されたのだろう。 それでいいのか? 納得いくのか? 不快をねじ伏せることができるのか? 降臨 ところで 疫病や戦争で多くの人が死んでいくのも 神の試練なのか? 死んだものは 試練に敗れたものか? 生き延びたものは 新世界に選ばれたのか? 神の栄光は生者だけのものか? ”神の…