昭和20年6月10日(日)朝、霞ケ浦に面した阿見町と、土浦海軍航空隊は爆撃された。防空壕の中で生き延びたワガハイの父親と仲間は、生き埋めとなった仲間を救出するためにスコップを持って掩体壕に向かった。その掩体壕は現在の陸上自衛隊土浦駐屯地西側に位置する「鹿島神社」のそばだったという。 米軍的には、どこに掩体壕があるかなんて偵察済みだったのだろう。完璧に崩された掩体壕の中から、必死になって救出を試みた父たちは、結局一人も命を救い出すことは出来ずに、死体を掘り起こすことになった。 父は生前、このことを封印していた。だが、そういう爆撃があったことをワガハイは知ったので、父が経験していたのではないかと思…