大正五年東京に生まれる。 生長の家講師をしていたが、昭和24年神我一体を経験し、覚者となったとされる。白光真宏会を主宰。「世界人類が平和でありますように」のフレーズで知られる祈りによる世界平和運動を提唱した。 神人合一合気道の植芝盛平氏の親友。
また出口王仁三郎、笹川良一、笹目秀和らと同じく、道院紅卍会の会員メンバーであった。紅卍会は大本教と提携していた中国の新宗教。
國學院大學学術情報リポジトリ「K-RAIN」五井昌久の平和思想を支える理念 : その形成と展開吉田 尚文 による 1916年(大正5年) 1歳 ~ 11 月 22 日 午後 5 時から 6 時の間に東京・浅草で、9人きょうだいの四男として誕生。兄弟(7男2女)のうち、1人の兄は夭死。1人の兄はのちの第二次世界大戦中フィリピンで戦死。五井の弟・五郎もニューギニア方面で戦死した。 父・五井満二郎。越後長岡藩の武士の息子で、生まれながらの病弱だったという。母・きく。東京生まれの商人の娘。男勝りの豪気をもっていたという。 五井が生まれ育ったところは、東京の浅草で、片方が吉原土手、片方が今日ドヤ街がある…
👆学校へ行く時に使う阪堺(はんかい)線の駅 神を受け入れて救われるくらいなら死んだほうがまし、 と思っているコース兄弟は意外と多い。 自分は穢れているので、神に愛される資格はなく、 神の懐に飛び込んで行っても拒絶されるに違いない、 それならいっそ、このまま無価値感に浸っていたい、 と考える(らしい…)。 僕は自分に無価値感を感じたことがあまりない。 表面に出てきていないだけで、深い意識のレベルでは 僕にもそういう隠れた闇はあるのかもしれないが、 実際、人に嫌われたり、こっぴどく拒絶されたり、 責められたりしても、落ち込むことはあるけれど、 自分は愛されない存在だ、とはならなかった。 で、それは…
悪い想いや汚れた想いが出てくるということは、その人の潜在意識層に、そうした想いがあるからなのであります。ですから、抑えようとしても、いけない、と想っても、いつかは外に出てくるものなのです。そこでそうした想念を消えてゆく姿として、祈りの中で消して貰うのであります。いいかえれば、業想念と光とを入れかえて貰うのです。そう致しますと、潜在意識層の業想念が減って、光の波動が代って入ってゆくことになり、悪い想いや汚れた想いの出る度びに、光が潜在意識層に入っていって、いつの間にか、潜在意識層が光に充たされてくるのであります。そうなればもうしめたもので、その人は、自然法爾に、ひとりでに、善いことのみを想い、よ…
大体宗教の道に入るのは、人間生命を自由自在に働かせるためであります。自己の生命が自由自在になるためには、自己の本体が神と全く一つのものであることを知らねばなりません。自己と神との真実の関係を知らなければ、自由自在心になるわけにはゆきません。 生命の自由ということは心の自由自在にそのまま通じるので、自由自在心とは、生命が神のみ心そのままに動いていることであるわけです。 仏教に入って戎律に把われ、日蓮宗に入って、折伏に把われ、キリスト教に入って、罪の子に把われ、因縁因果説の宗教に入って、因縁因果説に把われ、精神分析的宗教に入って心の法則に把われ、光明思想の宗教に入って神の子に把われる。宗教の道に入…
愛は光であり、光は即ち神である。 真の行いは神の行いである。愛の黙想は光そのものである。愛に充ちた真理の言葉は神の言葉である。 純粋な愛は自己の想念停止(無我)と同じであるから、本源の光がその人を通して、相手に流れ入るのである。愛の純粋さの程度に従って、光の強さが違ってくる。 「神様、どうぞ、社会人類のために、わたしのいのちをおつかい下さい。私に授けられた私の使命を一日も早くなさしめ給え」 真摯な愛の祈りと、無邪気な明るさ、運命を信ずる楽天、こうした要素が、神に通ずる心であり、いかに祈っても、邪気ある心、暗い心、不安の念いなどがあっては、神の心に触れることはできない。 『神と人間』
(一) 人間に一番大事なことは 澄んでいる境地です スーッとしている境地です ”うつるものおのづうつりておのづ消ゆ 己れは澄みてたゞひそかなり” という私の歌がありますね たゞ己れは本当に澄んでいればいいのです うつるものは自ずうつってゆく それが消えてゆく姿です それは自分の中から出てくるものもあるだろうし 外からくるものもある しかしいつも己れは澄んでなければいけない 自分が澄んでいるということは 心が澄んでいると同時に この世の中にも住んでいなければいけない すむということは両方にかけているわけ この世の中の生活というものの 常識というものはやっぱり大事なことなのです 心が澄みきっていて…
現象に現われた、病気や、不幸を、これはいかなる過去の心の現れか、と精神分析して反省するよりは、現われた悪い事態は、すべて、過去の業因縁が、形に現われて、消えてゆく姿なのだから、この苦しみが済めば、必ず、一段善い環境になると言じ、それと同時に、守護霊さんが守っていて下さるのだから、必ず善いほうに、善いほうに向っているに違いないと言じることである。過去の因縁を分析すると、自分を痛めやすいし、気持が暗くなって、神から離れがちになってしまう。 神は光なのだから、常に明るい心の人を喜ぶ。 神は愛なのだ、光なのだ、私は常にその愛と光の中に生きているんだ、しかも守護霊さんに守られながら生きているんだ、過去は…
素粒子の世界で 素粒子たちのささやきが聞える 僕たちは微妙な存在 広い宇宙と微少な僕たち 地球世界の人間たちは 鋭い智慧で僕たちの存在をつきとめ まだまだ先へ進もうとする 僕たちの仲間は次第に数多く発見されたが 大宇宙の奥は極みなく深く 果しなく広い 素粒子と云われる微少な僕たちよりも もっともっと極微な存在が 僕たちの先輩として宇宙の奥で活(い)きている その名は宇宙子 僕たちはその宇宙子の孫の孫 叡智の泉の大生命の 大能力の指揮のままに 宇宙子群の縦横の 十字交叉の大はたらきに 霊妙妙妙不可思議の 大宇宙の扉がはっきりと開かれ 地球世界の今日が生れた 宇宙子 微粒子 電磁波 光波 鉱物 植…
人間は霊であり、肉体はその一つの現われであって、人間そのものではない。人間とは神の生命の法則を、自由に操って、この現象の世界に、形の上の創造を成し遂げてゆくものである、と識って、それを実行している人。この人は覚者であって、自由自在心である。即ち、個の肉体を持ちながら、みずからが、霊そのものであることを自覚し、その霊とは神そのものの生命であることを識り、神我一体観、自他一体観を行動として表現してゆく人、例えば、仏陀、キリストの如き人びとである。 真の人間を知るということは、神を知るということと一つである。いかに神、神と神を追い廻しても、その人の行ないが愛と真心にかけていては、その人は真の人間をし…
何が人間の本体か 人間の本体は肉体ではないんです。よくよく考えてみますと、肉体というものは器でしょ、場所ですから、生命が無くなってしまえば、肉体は動きはしません。何も考えません。そうすると、動かしていたものは生命でしょう。その生命というのは何かと言うと、波動、微妙ないろいろな種類の波動が生命という名前であるわけです。 だから想いというものは、その生命のエネルギーの中から出てきたものなんです。この肉体の世界にいますと、肉体の世界で生活していますと、肉体環境によっていろんな想いがそこに湧いてくるわけです。それがいろいろとぶつかったりして業想念になってくるんです。だから神様のみ心そのままで、もう初め…