大正五年東京に生まれる。 生長の家講師をしていたが、昭和24年神我一体を経験し、覚者となったとされる。白光真宏会を主宰。「世界人類が平和でありますように」のフレーズで知られる祈りによる世界平和運動を提唱した。 神人合一合気道の植芝盛平氏の親友。
また出口王仁三郎、笹川良一、笹目秀和らと同じく、道院紅卍会の会員メンバーであった。紅卍会は大本教と提携していた中国の新宗教。
自然に開く花のごと 時きてめざむ神ごころ 祈りの道は深けれど やがていのちの泉得む ひとそれぞれの性(さが)のまま めざすは高き神の庭 導き給うみ使は 天にも地にもおわすなり 己(おの)が心の和を保ち ひとひとの幸(さち)ねがう身の 清らなひびき天地(あめつち)に 世界平和の道ひらく きらめく星は空にあり 輝やく知性人にあり 神のみ心地に受けて 永遠(とわ)の光の花咲かす 五井昌久 『平和讃』より ***** Profile 1916年(大正5年) 東京に生まれる。 1949年(昭和24年) 神我一体を経験し、覚者となる。 白光真宏会を主宰。祈りによる世界平和を提唱して、国内国外に共鳴者多数。…
威張らないのが一番偉い 肉体の人間というものは、みんな等しいんです。肉体の人間に差別があるわけは絶対にない。天は人の上に人をつくらず、というのは肉体の人間のことを言うのです。 肉体の人間はすべて同じです。ただ肉体の人間がどれだけ空っぽになっているか、どれだけ私がないか、ということによって、その位が違うのです。だから威張った教祖は、無私ではありません。自我欲望がある。コンマ以下の人間が、神様の使いとしてやっているような、そういう馬鹿な時代は去らなければならない。そういう時代が続いたら、日本は滅びます。実にくだらないことです。 一番悪いのは、新興宗教の教祖だ。新興宗教ばかりではない。既成宗教も同じ…
初めから完全は現われない 人間というのは大変厄介に出来ております。完全といえば完全だけれど、不完全といえばこれほど不完全なものはない。いつも相反するものが二つあるんです。長所が短所になっていると同じように、相反しているものがある。それでこの世の中ができているわけです。 それはどうしてかというと、初めから完全な微妙な一瞬にして出来るようなものが、わざわざ物質の世界に降りてきて、粗い波動ののろい歩みをしているわけですから、不完全になるのは、これは当たり前なんです。初めから完全にはなりっこないのです。ジェット機より速い、目に見えない速さで飛んでいるものが、わざとノロノロ歩いていたら、完全なスピードじ…
原点に立て、ということが、近頃しきりに言われはじめている。確かに人間は一度原点に立って、自己や世の中を見直さなければいけない。原点の最も原点は、宇宙大生命のみ心の中である。 小生命である人間が、いつ迄も争い合う心でいて、どうなるというのだ。真の平和はそんな心では達成されぬどころか、常に大生命のみ心に想いを向けていなければ、いつか、宇宙の大調和の波から外れてしまう。現今の人間は大宇宙の軌道から、まさに転落寸前にある。第三次大戦の脅威、大天変異変への恐れが、常につきまとうのが今のこの人間社会なのだ。 みんな急いで、大宇宙の軌道に乗らなければいけない。のんびりしていてはもう間に合わぬ。大宇宙の軌道に…
私は毎朝、或るキリスト教会の鐘の音をききながら、道場にでかけてくる。 その鐘の音は、冬の凍った空気を融かす、甘い、柔らかい、温かいひびきを私の心にひびかせてくれる。 晴れ渡った日などは、太陽の光と、その鐘のひびきとの調和が、天国浄土を想わせさえする。 この世界は、すべてそれぞれのひびきによってできている。それを波動と科学者は呼んでいる。光の波動、音のひびき、想念のひびき、そうした、こもごものひびきの交流が、私たちの住む世界をつくっている。 一体、私たちは毎日どんな想念のひびきを出しているのだろう。 教会の鐘のような、温かい、柔らかいひびきであろうか、それとも氷のような冷たい固いひびきであろうか…
暁け方まで降っていた雨が止んで、新緑に残された幾粒もの水滴が、五月の陽光と快く調和し、銀色に光り、金色に輝き紫色の光を放つ。天界の美の片鱗が、庭先にうつし出されている朝のひととき、私の心は天地の恩寵を感じつつ和やかに佇む。 こうした小さな水滴の中にさえひそんでいる自然の美しさ、そしてそれを感ずる人間の美意識。 天と地と陽光(ひかり)と風と、雨と草木と人間と、このようなすべての存在の中で、人間のみは美を感じ、醜を感ずる側にあり、その他のすべては、人間に美醜を感じさせる側にある。いかに自然が美しくあろうとも、観る側の人間が存在しなければその美は成り立たない。自然は観られるそのままに存在し、人間は観…
鏡の中に私の眸がある それはすでに私の眸であつて私のものではない その眸は深い神秘をひめてじつと私をみつめる その眸の中に私のこれからの仕事が蔵され(かくされ) 私の進んでゆく道が印されている その眸のあるところは空(くう)の先の世界 空即是色(くうそくぜしき)と展けている世界 その中に私の肉体は融け去り 私の天命だけが光りはじめる その眸は 私につらなる多くの人々の生活を照しはじめ 人の世に直なる(すぐなる)生命を輝やかそうとする その眸の中にはキリストも仏陀も住まい 私に倚りくる祖先の顔々もうつる その中で 時には笑まい 時には嘆く 幾多のみ魂のある事もあなた方には知らせたい その眸のみつ…
五井昌久は「徴兵制」について「国から戦争に行くことを要請された場合は、行かなくてはならないよ」という旨の発言をしていることを記憶している 対してドイツの哲学者カントは「戦争を行うべきか否かについて決定権を持つのは、戦争によって失うことのない国家主権者であり、他者、すなわち国民の負担において戦争を遂行するのであるから、主権者の領土拡大欲や、他国から侮辱を受けたなどの理由により、国民が責任を担う必要性はない」という旨を述べている 五井昌久の発言は、一種の上からの義務、要請を考えなく遂行しなければならないという意識にいまだ捕らわれた幼稚な段階と思える アメリカのマッカーサー総帥も「日本人の精神年齢は…
仮の世と消えてゆく姿 消えてゆく姿と永遠の生命について、の話を致しましょう。この世は仮の姿といいますが、それは消えてゆく姿と同じことなんで、仮の世が、ドンドン消えてゆく姿になって、やがて実在の姿がここに現われてくるわけなんです。 そこでわれわれは今、実在の世界、神のみ心の中に住んでいると同時に、想念波動としてこの肉体界に住んでいる。両方に住んでいるわけです。真の人間は一番奥深い実在の世界に住み、神界、霊界、幽界、肉体界とズーッと光が流れてきて、それで肉体界に住んでいる。だから肉体界も幽界もみんな仮の姿で、奥深い実在の世界が本当の姿なんです。 その実在の世界に住んでいながら、この肉体界に想念波動…
想いが運命を作っている 「光に住して光に把われず 空に住して空に把われず 業に住して業に把われない」 ということについてお話してゆきましょう。 この世の中というのは想いで出来ています。その想いはどこから来るかといいますと、はじめ大生命があって、その生命が分かれて小生命となり、人間になっている。そのいのちのエネルギーを土台にして想いが出来ている。ところがいのちのエネルギーを土台にはするけれど、命の本筋をいかないで、本筋からはなれてしまって、肉体という一つの場に片寄ってしまった。そして肉体だけの平和とか、肉体だけの安心とか、肉体だけの富とか、そういうものばかり考えて、把われてしまった。それでだんだ…