それゆえ、慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子で、中国に渡って、また天台・真言の明師に会ったけれども、二宗の勝劣は定めきれなかった。あるいは真言はすぐれ、あるいは法華すぐれ、あるいは理同事勝等と言った。宣旨を出していただいたときには、二宗の勝劣を論ずる人は勅宣に背く者と戒められた。これらは皆、自語相違というしかない。他宗の人なら到底信用しないだろうと思われる。 ただし、「二宗が等しいとは、先師・伝教大師の御義である」と宣旨に引用されている。そもそも伝教大師がいずれの書にそう書かれているというのか。このことよくよく調べなくてはいけない。 慈覚・智証に対して、日蓮が伝教大師の御事を疑って述べるのは…