井上哲次郎(1855-1944)
日本の哲学者。筑前国(福岡県)太宰府の出身。
1880年(明治13年)東京帝国大学哲学科卒。 1882年(明治15年)東京帝国大学助教授 1884年(明治17年)ドイツ留学。 1890年(明治23年)帰国し、東京帝国大学教授。 1923年(大正12年)同退官。
metaphysicsを形而上学と訳したのは彼である。
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丸山真男の 日本政治思想史研究 - 東京大学出版会 に少し登場する 井上哲次郎関係の研究者を紹介します。 杉山 亮 (ryou sugiyama) - 井上哲次郎 - 研究キーワード - researchmap 水野 博太 (Hirota Mizuno) - マイポータル - researchmap 井上及び戦前の「中国哲学」 野村 英登 (Hideto Nomura) - 陽明学の近代化における身体の行方 : 井上哲次郎の中江藤樹理解を中心に - 論文 - researchmap 儒教・道教の身体論を中心にされている。 おまけ アジア教育史研究 以上です。
佐古純一郎の文芸批評に注意深く耳を傾けていた時期がある。 早稲田だ三田だ赤門だといった文学青年街道を歩んだ人ではない。学生時代に亀井勝一郎の門を敲き師事した。海軍に応召し、対馬守備隊の通信兵として敗戦を迎える。戦後洗礼を受け、創元社や角川書店に勤務した。創元社と縁の深かった小林秀雄からも指導を受けたそうだ。退職後は文筆のかたわら大学講師生活を送り、母校二松学舎大学の教授にして学長をも歴任した。信仰者としては、牧師さんである。 鬼の首を獲って文芸ジャーナリズムを騒がせるような批評はしない。戦争体験者かつ信仰者として、おだやかな口調で根源を説く。著作や評論の表題に明瞭だ。「文学はこれでいいのか」「…
日本史の内幕戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで磯田道史中公新書2017年10月25日 初版2023年9月20日 23版 本屋さんで目に入ったので、買ってみた。帯の磯田さんの写真がわかいなぁ、、、と思ったら、2017年の本だった。ま、いいか、ということで読んでみた。 帯には、大ヒット40万部突破!とあるけれど、、、これまで目にしたことが無かった。 そして、” 書簡が伝える 西郷どんの性格は秀頼は秀吉の子ではない?忍者の子孫たちとの交流信長と同日同時刻 生まれの男の話 小説や 教科書ではわからない 魅力 西郷隆盛の性格は 書状から見える。 豊臣秀頼の父親は本当に 秀吉 なのか。 著者が原本を発見…
第五十五 国運の進歩 学習目的 主として第四十九「文化の発達」以後、すなわち明治二十七八年頃以後における、明治時代の国防・経済・通信交通の機関・学芸・美術工芸・博愛慈善などの進展について学習し、当代がよく驚異的に文化の発展をしたことを認感させるのである。 学習事項 (一)国防整う 外交の進歩とならんで、国防のことも年を追って整った。 明治新政府は国防については大いに顧慮するところがあり、親兵(後に近衛となる)を薩・長・土三藩から徴兵し、その他諸藩の兵権を収め、士族の常職をやめ、鎮台を置き、これに要する将卒兵器、みな諸藩で訓練するところを集め、これを壮兵と称し、親兵と共に志願兵の形となし、その余…
教育勅語発布の日 1890(明治23)年10月30日、「教育ニ關スル勅語」(教育勅語)が発布されました。 勅語の原案は井上毅、元田永孚などによって起草され、「徳教ニ関スル勅語」という名称で上奏されました。教育勅語は、明治天皇が内閣総理大臣・山縣有朋と文部大臣・芳川顕正に対し教育に関して与えた勅語であり、以後の政府の教育方針を示す文書となりました。勅語は、教育の淵源が「国体ノ精華」にあるとし、「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ」など具体的徳目をあげ、「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と国民に求めました。 文部科学省のHPより引用します。 二 明治憲法と…
◆『懸賞界』という雑誌 ◆明治期の「懸賞」がある地方誌 ◆懸賞情報を掲載した雑誌たち 《書誌の不完全ながらデータ》 ◆『懸賞世界』発行者との文通 《その2へ続く》 ◆『懸賞界』という雑誌 『公募ガイド』が創刊されたころ、「今までに無い雑誌」だとして支持されたが(※1)、戦前から文学賞募集や作文コンクールや商品名の命名、懸賞標語(※2)戦時歌謡(※3)などを募集する情報の雑誌は存在している。 掲載情報は新聞・雑誌から蒐集した場合もあれば、企業が募集の広告媒体として利用したケースもある(『懸賞世界』『最近の懸賞』『懸賞案内』などがそうだ。 ※松宮三郎 著『すぐ利く広告』,三笠書房,昭13) 「懸賞…
日本で哲学が学ばれ始めた頃、つまり帝大ではフェノロサが英語で哲学を論じた。学生の共通の外国語が英語だったからだ。これは漱石をはじめ、井上圓了,西田幾多郎,阿部次郎,九鬼周造,和辻哲郎を教え子に持った有名な Raphael von Koebel の時代もそうだった。しかし西洋哲学を学び取るには,英語だけでは不十分で,ドイツ語は勿論のこと,ギリシア・ラテンの古典語の知識が不可欠だ。Koebelは学生にそれを説いていた。このKoebelが大学時代に師事した教官に,哲学でドイツ留学した最初の日本人は学ぶことになる。 日本で最初に哲学を講義した日本人,井上哲次郎が留学(1884-1890)したハイデルベ…
近現代教育史のなかの教育勅語 : 研究成果の検討と課題 | 学術機関リポジトリデータベース 明治期における井上哲次郎の「国民道徳論」の形成過程に関する一考察 : 『勅語衍義』を中心として | 学術機関リポジトリデータベース 教育勅語と福沢諭吉 | 学術機関リポジトリデータベース 元田永孚と教学論(森川輝紀教授退職記念特集) | 学術機関リポジトリデータベース 明治の徳育における儒学1道徳観 : 修身教科書を中心に | 学術機関リポジトリデータベース 師範学校令期における修身 その学的性格をめぐって | 学術機関リポジトリデータベース 明治の「公徳」「私徳」論瞥見──福沢諭吉と井上哲次郎── |…
※このサイトはアフィリエイト広告を掲載しています。 タルムードの教えは単なる宗教書を超え、人生のあらゆる側面に深い洞察を与えてくれます。 特に「タルムード童話」のおすすめの本は、ユダヤ教の精神的指針としてだけでなく、その豊富な内容からさまざまな教訓が得られます。 今回は、「タルムード童話」のおすすめについて解説していきます。 タルムードの深遠な教えを通じて、厳しい現代社会のなかでも豊かな人生と成功への道を切り開いていきましょう。 タルムードとは何か? タルムードの起源と歴史 ユダヤ教とタルムードの関係は? タルムードの内容と構成 タルムードの日本語訳は? タルムードと旧約聖書の違い タルムード…
東洋史概論で習った世界史関係のサイトなどを紹介します。 大阪大学学術情報庫OUKA 羽田正の「新しい世界史とヨーロッパ史」 注5の上原はこちら 上原専禄 - Wikipedia 注19の三木はこちらを参照 三木亘 - Wikipedia 井上円了と井上哲次郎が東洋哲学を作ろうとした頃の話 Kyoto University Research Information Repository: 近代「中国哲学」の起源 遊牧民関係では、梅棹の 文明の生態史観 - Wikipedia 白鳥庫吉の序文 東洋史統 卷一 - 国立国会図書館デジタルコレクション 白鳥庫吉を含めた戦前の東洋史については 近代日本と…
一条真也です。『仏教の大東亜戦争』鵜飼秀徳著(文春新書)を読みました。著者は、僧侶、仏教ジャーナリスト。1974年、京都・嵯峨の正覚寺に生まれました。成城大学文芸学部卒業後、新聞記者・雑誌記者を経て独立。2021年に正覚寺住職に就任。主に「宗教と社会」をテーマに執筆、取材を続けています。著書にブログ『寺院消滅』、ブログ『無葬社会』、ブログ『「霊魂」を探して』、ブログ『仏教抹殺』で紹介した本などがあります。現在、大正大学招聘教授、東京農業大学、佛教大学非常勤講師を務めています。 本書の帯 本書の帯には、顔面を残し、軍用資材として回収された「上野大仏」の写真が使われ、「なぜ仏教は国民を“殺生”に駆…
清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください 大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 sites.google.com お勧め動画・ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s 清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 清水正…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 東洋大学入試部 日本における「哲学」の始まりと自然観の転換 2015年12月22日 明治時代、日本が西洋の哲学をどのように取り入れて自分のものにしていったのかを、いくつかの例を参考に考えてみます。 フィロソフィーを初めて「哲学」と訳した西周(あまね)は、哲学は「百教一致」の方法だと言い、人間を客観的に見るために重要なのは「物理」だと考えました。物理とは「自然」のことで、物理を追求して得た洞察を、心理の洞察に生かそうと試みました。なお、明治時代にnatureは「自然」と訳されましたが…
一旦緩急アレハ義勇公二奉シ 人の徳義は、徒に能く一身を修め、他人に害を加へざるに止まらず、又進んで衆人の為に有益なる事業を為すを要す、即ち消極の徳義は、未だ尽さざる所あるものにして、加ふるに積極の徳義を以てせざるべからず、殊に国の安危休戚に関することあらば、欣然一命を擲ちて、公衆の為めに図るところなかるべからず。是れを真正の義勇とす、 人は如何なる勇気あるも、如何なる腕力あるも、少しも貴しとするに足らず、然れども若し之れを用いて有益の業を成すときは、初めて貴しとするに足る、若し又 之れを用いて国家の危難を救ふときは、大に貴しとするに足るなり、 此の如く一己の自利心を捨てて、国家の為めに務むるは…