リスト::学者::社会科学 法哲学者(1954年-)
碧海純一門下。東京大学教授。
瀧川裕英 (編集), 大屋雄裕 (編集), 谷口功一 (編集), 安藤 馨『逞しきリベラリストとその批判者たち―井上達夫の法哲学』ナカニシヤ出版(2015) 井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門』毎日新聞出版(2015) 井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門』読了+新・読書日記126 – ラボ読書梟 関連図書 nainaiteiyan.hatenablog.com
カトリーヌ・マラブー『泥棒!: アナキズムと哲学』青土社(2024) モンテーニュ『エセー 3』中公クラシックス(2003) 井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門』毎日新聞出版(2015) 新・読書日記125 – ラボ読書梟 関連図書 nainaiteiyan.hatenablog.com
モンテーニュ『エセー 3』中公クラシックス(2003) マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』ちくま学芸文庫(2021) 井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門』毎日新聞出版(2015) マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』読了+新・読書日記124 – ラボ読書梟
『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫の法哲学入門』 井上達夫 毎日新聞出版 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫の法哲学入門 作者:井上 達夫 毎日新聞出版 Amazon 「法哲学」。タイトルからしたら政治の話かと思ったのだが哲学だった。 現在の日本や世界の社会問題に関わることでもあるが、大小問わず大事なことが書かれていると思ってので抜き書き。 反転可能性 自分の他者に対する行動や要求が、自分の視点だけではなく、他者の視点からも拒絶出来ないような理由によって正当化できるかどうか、それを吟味しなさい。 自分は日々さまざ…
読んだ本 井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください:井上達夫の法哲学入門』毎日新聞出版 (2015) 金慧『カントの政治哲学:自律・言語・移行』勁草書房 (2017) 高島和哉『ベンサムの言語論:功利主義とプラグマティズム』慶應義塾大学出版会 (2017) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 引き続き「カントの義務論 VS 功利主義」を咀嚼するためにいろいろと読みながら模索した。 ベンサムの構想した功利主義は、その言語論には共感できるものの、結局は快楽主義者と変わらないのではないか、と思ってしまう。 自分は今の…
政治への暴力、向き合うべき課題 安倍元首相銃撃から1年 識者に聞く:朝日新聞デジタル 井上達夫氏と河野有理氏のインタビュー。 どっちかというと政治がフェアに運営されていない状況をいう井上氏に説得された。たしかに、民主的な制度は運用も含めて初めて生きるもので、いまのような運用のされ方は、逆に多数を取った人たちの横暴を許す装置にしかならない。解散権についても、あたかも当然のように報道するマスコミにも大きな問題があるだろう。私は井上氏の説明を聞いて、確かにそのとおり、と思った。国会が決議するのはわかるが、内閣が自ら解散するのはよほどのことだろう。しかしそれが常態化している。選挙には当然税金も使われる…
井上達夫氏のウクライナ戦争と向き合う ― プーチンという「悪夢」の実相と教訓を読んだ。本書が出版されてからすでに半年以上たっているが、まだ戦争は継続している。このブログを書いている時点で、ワグネルの反乱が起き、あっという間に収束するという全く先がどうなるかわからない状況にいる。この本を読んで初めて知ったNATO及びロシアを取り巻く状況があった。それはプーチンが2000年に大統領に就任した直後はNATOを敵視していなかったという事だ。2002年にNATOローマ首脳会談にプーチンが招待されていて、その時にNATOロシア理事会が設立された。これはロシアを準加盟国として扱う事であり、プーチン自身はNA…
井上達夫『共生の作法-会話としての正義-』(7) 今回は、第1章 正義論は可能か 第4節 相対主義 の続き(p.20~)と第5節 「それで?」である。 第4節の続き(非認識説)はパスして、第5節 「それで?」を読んでもいいだろう。 非認識説 価値相対主義の論拠は何だろうか? 井上は、①確証不可能性、②方法二元論、③非認識説 の3つをあげていた。今回は③の非認識説についてである。 非認識説によれば、価値判断が客観的に真でありえないのは、そもそも、それらが「判断」ではないからである。即ち、それは、そもそも真偽が問題になるような「認識」の問題ではない。 それでは何なのか? 古典的な価値相対主義者は、…