静岡県浜松市北区引佐町井伊谷 万松山龍譚寺 中野家歴代当主墓さて、永禄11年(1568)、籠城戦に限界を感じていた連龍は、松居郷八郎と名乗る懇意の人物を仲介として氏真からの和睦に応じた。こうして、氏真の娘と婚約する運びとなった亡き前妻の子 辰之助を伴い駿府に挨拶に赴く。その祝宴で待っていたのは父子ともに切腹という処断だった。 余談だが、後室 於田鶴の懐妊を願う連龍が東漸寺の鬼子母神堂に祈願をした。すると、於田鶴にとって初めての子 義広が誕生した。これを祝って「義広」と墨書した大凧を揚げたことが、今に伝わる「浜松まつり」の起源とされるが、実は大正時代の創作とも言われている。 以上を見る限り、「改…