The Puppet Masters
ロバート.A.ハインラインの小説
人形つかい (ハヤカワ文庫SF)
舞台は2007年7月12日、アイオワ州の未確認飛行物体を調査するために赴いた捜査官6人が連絡を絶った。 事態を重く見た「機関」のボスOldManはサムとメアリを伴い実地に赴く。そこで彼らが見たものとは 人間に寄生するナメクジ型のエイリアンとの戦いを描いたジュヴナイルSF
目次 舞踊靴 川端康成 「人形つかい」との共通点 侵略SFの代表的名作 舞踊靴 川端康成 彼女は金色の舞踊靴を穿いて踊った。 そして、素足で穿く金色の舞踊靴に、彼女の足の脂汗(あぶらあせ)がしみこんだころであった。 舞台裏の階段を下りようとすると、子犬がいきなり彼女の靴に咬みついた。歯が足の甲にも突き刺さった。 きゃっと叫んで倒れると、金色の靴をくわえて逃げていく白い犬を見ながら、彼女は気が遠くなった。 踊るのに差支(さしつか)える傷ではなかったが、彼女の足からは喜びが消えた。踊子の死であった。 彼女は急に夢から覚めたように感じた。 目が覚めると同時に、自分が死んでしまったようにも思われた。 …
ぼくの愛するメアリがあの人工子宮のなかで、生きてもいず死んでもいない状態のまま塩づけのイナゴのように泳いでいたと考えると、たまらなかった。 水族館の壁に目をやると、たまらなくなっていった。 ここもやはり透明壁になっていて、それを通して何かがふわふわと浮いているのが見えた。 壁のすぐ向こうに浮いているのは人間の——地球人の身体だった。年の頃は四十か五十、両腕を胸の前に組み、両膝を引きつけて、まるで眠っているように見えた。 その男ひとりではなかった。 その男の向こうに、まだ男や女、若いものや年とったものがたくさんいた。 ぼくはその男が死んでいるものとばかり思った。が、やがてぼくは、その男の口が動い…
新作か旧作かにかかわらず、その月に読んだものの中から面白かった漫画を紹介していこうと思います。 牧瀬 初雲『スティアの魔女1』 つくみず『シメジ シミュレーション 04』 月水技研(つくみず)『文明の夜に焼く秋刀魚と電磁波測定器について』 原作:西尾維新 作画:岩崎優次『暗号学園のいろは』第十号・第十一号 白倉由美『恋するスパークリングフラッシュ』 雉鳥ビュー『LOST AND WALK』 村田 真哉(著), 隅田 かずあさ(著)『ほしがりすぎでしょ!?稲葉さん (3)』 六道 神士 (著), 士郎 正宗 (その他) 『紅殻のパンドラ(24) 』 山うた 『よみがえる子猫たち 2』 荒木俊明 …
初出 佐武と市捕物控/石森章太郎 ハンニャ 小学館『少年サンデー』 1967年第11号 人形つかい 小学館『少年サンデー』 1967年第15号 こいのぼり 小学館『少年サンデー』 1967年第20号 雨 小学館『少年サンデー』 1967年第24号 うらみ 小学館『少年サンデー』 1967年第28号 おくり火 小学館『少年サンデー』 1967年第33号 SF サブとイチ番外/石森章太郎 狐火 西武百貨店広報誌『ふぁみりぃ』 1969年7月臨時増刊号 昨日読んだ a-sue.hatenablog.com で夏目房之介さんが石森マンガの最高峰と言ってたビッグコミック掲載版「佐武と市捕物控」を読みたく…
最近カフェ巡りのレポートがあげられていませんでした。。。 カフェ紹介の目次はこちらです 立地と概要 店名の由来 店内の様子 こだわり メニュー ドリンクやフード 店舗情報まとめ 立地と概要 JR・京王電鉄「吉祥寺駅」から徒歩3分ほどのところにある、1979年春にオープンした老舗の喫茶店です。 こちらのお店は創立380年にもなる「江戸糸あやつり人形劇団 結城座」の劇団員の手により開店したお店で、吉祥寺駅北口にある商店街の地下空間を利用しています。 入口の写真から分かる通り、少し怪しげな雰囲気で絵本の世界に入っていってしまいそうな階段を降りると店内に入ることができます。 深い味わいのコーヒーやスパ…
Lark’s Tongues In Aspic 国内盤’80年再発。どこで買ったっけなあ。 Red 国内盤’83年再発。ライナーが前述のポセイドンのめざめと同じ、渋谷陽一のアースバウンド賛歌。 スターレスがかかってる時に息子がおやつを食べに来て「あ、こんにちーはーじゃん」・・・彼のお母さんが空手バカボンをしょっちゅう歌ってるせいである。 基本、大物プログレは国内盤中古が安く豊富に出回ってて、1,000円以上出した事ないんじゃないかなー。 Starless And Bible Black は、ナベちゃんが運転するマーブル号の中で聴きすぎたので後回しにしてたら買いそびれ。40歳過ぎてから買った。 …
安部公房を読み直したり中村元を読み直したりいろいろ。大学を卒業してから手にとっていなかったせいか忘れていた事がいろいろあった。中論は面白いとか。 それと前者の著作から離れていった理由も思い出した。持って回った言い方をしておいて結局は無意識なのだ。脱構築化されたのか、単にメタな視点をもって冷ややかになったせいか、理なのか心なのかいまいちはっきりしないが、この手のやり口が急に嫌になった。そのような領域は実際にあるけれども、それを表現に回してしまっては負けではなかろうか。せめて理性なり認識の枠組みをはっきりさせるくらいの根性はほしい。人によってはそのレトリック自体が魅力的なのだろうけれど、そこまで追…