僕は何がしたいのだろうか。最近、このことをふと考える機会が増えた。僕は究極この世で何をしたくて、そして何を遺して、消えたいのだろうか。 生きることについて、究極的な目的など無いと言われる。それは僕も同意する。僕は勇者か何かの末裔ではない。大仰な任務や命運など、何も背負っていないのだ。 しかし無意味だからといって、特に何かしらの指針も定めず、ただふらふらと生きていくには、人生はあまりにも長い。主体的に暮らしたいという欲はあっていいはずだ。 だが、それがなんなのかを答えられる気が全くしない。フェルマーの最終定理よろしく、問題文は簡潔なのに、思考の第一歩目すら、何の見当もつかない。 「お前は何がした…