歌舞伎役者・片岡仁左衛門。
上方の役者のように思われがちだが、江戸時代は三都をまたにかける役者と位置付けられていた。
当代まで15代を数える。
屋号・松嶋屋
もしかしたら、仁左衛門家で最も有名なのが11代目かもしれない。
5代目歌右衛門など、同時代の著名役者との交友も幅広かった。
十代目・仁左衛門の子。
六代目梅幸亡き後の十五代目羽左衛門の相手役として活躍したが、屈折した性格だったようで、芸風もどこか冷たかった。
戦後、使用人に食い物の恨みから、一家もろとも惨殺された。
歌右衛門と並ぶ、昭和歌舞伎のネ申。
70代までは、味はあるがぱっとしない役者と思われていたが、昭和56年に演じた「菅原伝授手習鑑」の菅丞相が、風格・内容ともに空前絶後の出来と賞されて以来、次々と絶品の舞台を観客に見せつづけた。
羽田澄子の8時間におよぶ記録映画「歌舞伎役者・片岡仁左衛門」がある。
十二代目の子。
生前は十三代目(実際には五代目)片岡我童を称していたが、十三代目仁左衛門との約束から、死後十四代目を追贈。
歌舞伎を知らない人には、本名の片岡孝夫のほうが通りがいいかもしれない。
長身、美貌、美声と三拍子そろった上に色気もあるときている、歌舞伎界を代表する二枚目役者。もしかしたら日本を代表する二枚目かもしれない。
もうすぐ還暦だっつうじいさん(孝太郎の子供はお目見え済)なのに、舞台上では20代の青年をやってもなんら遜色ない。
優男専門かというとそうでもなく、「熊谷陣屋」「勧進帳」のような豪傑もやれば、「四谷怪談」の直助のような小悪党もやる。特に後者は案外はまっており、仁左衛門の奥の深さを感じさせられる。
やっぱりノッポの玉三郎とは30年来の名コンビで、「廓文章」の伊左衛門と夕霧、「二人椀久」の椀久と松山など、二人のあたり役は実に多い。客席から聞こえてくるジワも普段と比較にならず、二人が出る公演はいまだ、発売開始後あっというまにソールドアウトになる。
襲名後は舞台に専念しているが、孝夫時代はテレビや映画への出演も多く、「眠狂四郎」「わるいやつら」が代表作。
けっこう体が弱く、度々大病しては長期休養を取り、ファンをやきもきさせるが、そのたびに不死鳥のごとく蘇る。一年休んだ直後の平成六年正月、歌舞伎座「お祭り」の初日の幕が開いた瞬間の観客の歓声は忘れがたい。
ちなみに2ちゃんねるでの愛称は「23」。
余談だが、兄の片岡我當、片岡秀太郎はともに、今後二度と現れない名優だと思うのだが、一般の評価が低いのが惜しい。