宮城県出身、陸軍大将。
昭和17年(1942年)3月、第十六軍司令官として、蘭印作戦を指揮し、2倍の兵力をもつ蘭印連合軍を9日間で降伏させ*1、ジャワにおいて独自の軍政を敷く。*2大本営がこの軍政を認めなかったため、同年11月第八方面軍司令官としてラバウルに転任。終戦まで陸軍7万人の兵を指揮し、自給自足、強固な陣地構築の上、兵力を維持する。結果として連合軍はラバウルを避けることとなり*3、他方面と異なり、将兵は無事帰国することができた。
戦後オーストラリア軍により10年の禁固刑の判決、オランダ軍には無罪の判決を受ける。