広東虎門出身の中国人。クリスチャンで、洗礼名はペドロ。東南アジアに密航した後、ポルトガル船の船員として広州に来航した。火薬や大砲の製法に通じ、明朝の仏郎機砲導入に大きな役割を果たした。 仏郎機砲の鋳造 ポルトガル人の書簡 ポルトガル船の中国人 参考文献 仏郎機砲の鋳造 1517年(永正十四年)、ポルトガル船団が明朝との通交を求めて広州湾に来航した。1520年(永正十七年)、ポルトガル船などの停泊地であった屯門付近を管轄する東莞県巡使・何儒は、関税徴収の為にポルトガル船を訪問。この時、長年ポルトガル人とともにあり、造船や銃(砲)・火薬の製法を熟知しているという楊三、戴明という2人の中国人と会った…