薩摩国の島津義久(しまづよしひさ)、大隅国の肝付兼亮(きもつきかねあき、かねすけ)、日向国の伊東義祐(いとうよしすけ)と、南九州では3つの勢力が鼎立。このうち伊東氏と肝付氏は手を結び、島津氏に対抗していた。 元亀2年(1571年)より肝付氏は水軍を率いて鹿児島湾に侵攻。島津側は島津家久(いえひさ、義久の弟)を主力として撃退した。そして、伊東氏も動く。元亀3年(1572年)5月、守りが手薄になった日向国真幸院加久藤(かくとう、宮崎県えびの市)に侵攻した。こちらは島津忠平(ただひら、島津義弘、よしひろ、義久の弟)が応戦。兵力差は伊東方約3000、島津方約300と大きな差があった。木崎原(きさきばる…