伊東勤は日本の元プロ野球選手(捕手)・指導者、千葉ロッテマリーンズ監督(背番号83)。
1962年8月29日生まれ。熊本県出身。血液型O型。
右投右打。
熊本工業高等学校(定時制)入学後、所沢高等学校(定時制)に転校し卒業。所沢高等学校転校と同時に西武球団職員として採用された。
1982年、ドラフト1位で正式に西武に入団。
入団3年目の1984年、正捕手となって以降、西武ライオンズの黄金時代を支え、2000年、捕手として3人目の通算2000試合出場を記録。
他リーグの6球団すべてと日本シリーズで対戦した、唯一の人物である。*1
2002年には選手兼任監督の要請を固辞し、伊原春樹監督の下、総合コーチ兼任選手となった。
西武監督就任1年目は2位に終わるものの、プレーオフ第1ステージで北海道日本ハムファイターズを、第2ステージで福岡ダイエーホークスを下し、逆転でのリーグ優勝を決め、日本シリーズでも、第7戦までもつれた末に中日ドラゴンズを下し、日本一に輝いた。
2007年、26年ぶりのBクラス転落の責任を取り、辞任。
その後はNHK野球解説者、WBC日本代表のコーチを務める。
またマスターズリーグ、東京ドリームスの選手としても活躍。
2012年、韓国に渡り斗山ベアーズのヘッドコーチに就任。
2013年、千葉ロッテマリーンズの監督に就任。
応援歌の歌詞「ホームベースは男の砦 矢よりも速い送球で的を刺す」は秀逸であり、人気が高い。
年度 | 所属チーム | 背番号 | 備考 |
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1978-1980 | 熊本工業高校 | - | 甲子園出場あり。熊本県大会決勝で秋山幸二と対戦。 |
1981 | 所沢高校 | - | 昼は西武球団職員、夜は通学 |
1982-2003 | 西武ライオンズ | 27*2 | 1981年ドラフト1位 |
2004-2007 | 西武ライオンズ | 83 | 球団初の生え抜き監督 |
2012 | 斗山ベアーズ | - | ヘッドコーチ |
2013- | 千葉ロッテマリーンズ | 83 | 球団生え抜き以外の日本人監督は近藤昭仁以来15年ぶり |
タイトル名 | 受賞年度 |
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ベストナイン | 1985〜1988、1990〜1992、1997〜1998、2002 |
ゴールデングラブ賞 | 1985〜1988、1990〜1992、1994〜1995、1997〜1998 |