野球選手・指導者。通称「ミスターホークス」。
左投左打、ポジションは外野手。背番号は57→0→3→1→8番。
1965年10月3日生まれ。岡山県倉敷市出身。
水島工業高校*1から1984年、ドラフト6位で南海ホークスに入団。
1987年に一軍定着。
1989年、チームが福岡ダイエーホークスになってからは、中堅手・右翼手の定位置となる。
門田博光、山本和範と共にホークスのスター選手であり、平和台野球場時代のホークスを支えた。
1994年、秋山幸二・渡辺智男・内山智之との3対3の「世紀のトレード」で、村田勝喜・橋本武広と共に西武ライオンズに移籍。
同年、3番打者として清原和博とコンビを組み、パ・リーグ優勝に貢献。
走攻守三拍子揃った選手で、1990年代を代表する選手として活躍。
「メジャーに最も近い男」*2と称された。
1997年、主に6番を打ち、パ・リーグ優勝に貢献した。
1998年、腰痛などの影響、小関竜也の台頭、そして東尾修監督との対立もあり、出場機会が少なくなる。
1999年、金銭トレードで阪神タイガースに移籍。
2001年、MLBへ挑戦し複数の球団のテストを受けるも叶わず、アメリカ独立リーグでプレーする。
同年、マスターズリーグ・大阪ロマンズに選手として参加。12月、現役引退。
2003年、福岡ダイエーホークスの二軍守備・走塁コーチとして古巣復帰。
2004年、オリックス・ブルーウェーブの一軍外野守備走塁コーチに就任。
オリックス・バファローズとなってからも1シーズン守備走塁コーチを務める。
退団後は野球解説者、マスターズリーグ・福岡ドンタクズの選手として活躍。
2006年、青島健太に招聘され、社会人野球、セガサミーのコーチに就任。