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佐倉城

(地理)
さくらじょう

天文年間、本佐倉城主・千葉親胤が一族の鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、完成前に親胤は家臣に暗殺され、幹胤も一時期ここに館を構えたが、死去により工事は中断した。天正年間に千葉邦胤が中断された工事を再開し、この地に本城を移そうとしたが、邦胤は天正十三(1585)年に家臣の桑田(一鍬田)万五郎に殺されふたたび工事が中断、天正十八(1590)年の小田原の役を迎え千葉氏は滅亡した。

慶長十五(1610)年、徳川家康の命で土井利勝が小見川領から佐倉領に入封し、未完の鹿島城を整備拡張し現在の佐倉城が築かれた。土井氏が古河城に移った後は石川氏、松平氏、堀田氏が入封、堀田氏六代ののちに廃藩置県により廃城となった。城地は戦前、第一軍管第二師営、歩兵第二連隊、歩兵第五十七連隊などが置かれ、地形が改変された。

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