小学校の頃に「赤穂浪士」を知ってから、ついぞ判官びいきに凝り固まった私は、義仲、長政、勝頼、光秀、三成、慶喜、西郷と敗者の側を応援すること、紙面で格闘するが如きだが、この中で唯一滅亡しなかったのが慶喜だ。タイトルが『慶喜のカリスマ』とあるように、いったいこの人物をどう捉えたらいいのか。父斉昭は精力が強く37人の子供を作ったが、多くは夭折し、成人した者は何人もいなかった。残った慶喜は幼いころから頭脳明晰で名将の器と期待されて育った。後に慶喜は26歳の首席老中、阿部伊勢守の斡旋で一橋家と養子縁組する。安政地震の7日後、阿部は抜き打ちで下総佐倉藩城主の堀田正睦備中守を老中首座の地位に迎え、ハト派の堀…