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佐藤一斎

(読書)
さとういっさい

●安永元年(1772)〜1859。名は「坦」〔タン〕。字は「大道」、通称は「捨蔵」、号が「一斎」または「愛日楼」・「老吾軒」。江戸の人。
●曽祖父の「周軒」が初めて儒学をもって岩村侯に仕え、家老に昇格、祖父の「信全」、父の「信由」とこれを継いだ。
●よって「一斎」は江戸後期の、朱子学と陽明学を兼ねた学者である。21歳にして林簡順の門下に入るが、程なくこの師匠が亡くなり、33歳と若くして林家の塾長に抜擢され、昌平黌の教官となった。諸大名以下門下3000人と称され、佐久間象山、安積艮斎らの俊秀を輩出。86歳で逝去。主著=『言志四録』『近思録』など。
●42歳にして『言志録』、57歳にて『言志後録』、67〜78歳にかけて『言志晩録』を成し、80〜82歳で『言志耋録』を上梓している。この4作をまとめて『言志四録』と伝わっているのだ。
●勿論「真名」(=漢文)で書かれており、「凡天地輭事。古往今来。陰陽昼夜。日月代明。四時錯行。其数皆前定。」と、割と平明である。
●その内容は一番通じていた「易経」の影響が色濃い。
●「西郷南州」こと西郷隆盛はこの佐藤一斎に心酔し、その抄録版を出版している(明治21年、『南州手抄録言志録』)。
●その中で「人など相手にするな! 天を相手にしろ! 己を尽くし、人を咎めず、自分の足りなさをこそ羞じよ!」と云っている。古人は大きかったのだ。
"●小泉純一郎も総理就任時の所信表明演説で例の「米百俵」と共に佐藤一斎を引用していた。;「少(わか)くし
て学べば壮にして為すあり。壮にして学べば老いて衰えず。老にして学べば死して朽ちず」。"

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