帝国陸海軍は戦術の研究は熱心にしていましたが、戦略についてはそれほど重要視していなかったのではないでしょうか。 特に補給などの兵站は軽視され、現地調達のような無茶な作戦を立てていました。 日本軍の戦死者の多くは餓死と病死であり、敵の弾に当たって亡くなった方より遥かに多いと言われています。 戦術研究と言っても、勝利した日清・日露戦争の成功体験に甘んじて(金科玉条のように崇拝して)そこからの発展性は持ち得なかったのではないかと思います。 (清国やロシアとの戦争は局地戦であり、欧米との世界的な総力戦とは比べものになりません) 太平洋戦争開戦に際して、山本五十六連合艦隊司令長官が、「半年間は暴れ回れる…