保元物語。保元合戦物語、保元合戦記、保元記とも。 軍記物語。三巻。鎌倉時代に成立、のち様々な成長を遂げた。 作者未詳、「平治物語」と同じともいわれる。
保元の乱の顛末を和漢混交文により記し、武士たちの活躍を描く。
作中の美福門院得子は、玉藻前のモデルとされる。
名詞「あひだ」に接続詞の意味があることを知っている人はとても少ない。 出題頻度こそ少ないが、出てきたときに知らないと推測できないから一発でアウトだ。 超重要ってほどでもないので頭の片隅に入れておこう! 重要 あひだ → (名詞)間、間柄、暇、~なので、~だから 例 度々仰せ下され候ふのあひだ(保元物語) 品詞分解 度々 → (名詞)何度か同じことが繰り返す様子を表す。 仰せ → (名詞)命令、御命令、言いつけ 下さ → (サ行 四段活用 未然形)命令、判決などを言い渡す れ → 受身 る 連用形 候ふ → (ハ行 四段活用 連体形 丁寧語)~です、~ます、~ございます の → 格助詞 注 あひ…
反語といえば古文の代表と言っても過言ではない。 出題頻度は相当高く、問題になっていなくても文中に登場していることはとても多い。 今回はそんな反語を表す形を紹介するのでしっかりと暗記していこう!
問 解釈として最も適当なものを選べ。 すかしまゐらせ給へ(保元物語) ① 御簾ごしにご覧なさいませ ② お気持ちをなだめ申し上げなさいませ ③ 急いで参上なさいませ ④ 好きにお話申し上げなさいませ ⑤ 催促しにお行きなさいませ 【解答】 すかし → (サ行 四段活用 連用形)だます、おだてる、なだめる まゐらせ → (サ行 下二段活用 連用形)謙譲の補助動詞 お~申し上げる 給へ → (ハ行 四段活用 命令形) 訳 なだめ申し上げなさい。 まず、「まゐらせ」の意味が入っている②と④にしぼり、そこから「すかし」の意味で答えを選ぶ。 答え ② 共通テスト過去問研究 国語 (2024年版共通テスト…
百人一首第88番目の歌の作者は皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとうです。 皇嘉門院聖子せいしに仕えた人でした。 今回は皇嘉門院別当について紹介します。 皇嘉門院別当とは 生没年は不詳。 藤原忠通の娘で崇徳天皇の皇后であった皇嘉門院聖子に支えていました。 保元の乱では崇徳天皇と藤原忠通が対立。 皇嘉門院聖子はその板挟みとなり苦悩したことでしょう。 乱の後に出家します。 皇嘉門院別当も、共に出家したと考えられています。 百人一首に選ばれている歌は、掛詞、縁語が多用されています。 「難波江の芦」は「かりね」の序詞。 「かりね」は「刈り根」ですが、「仮寝(仮初の共寝)」。 「ひとよ」は「一節」と「一夜…
メトロポリタン美術館に所蔵される金地の六曲一双屏風。右隻に『保元物語』、左隻に『平治物語』の内容を描きこむもので、「合戦図屏風の最優作」とも評価される。作者は不明。制作年代については慶長五年(1600)から慶長十五年(1615)とされるが、寛永七年(1630)を下限とみる説も示されている。 保元の乱と平治の乱 メトロポリタン本の特徴と伝来 〈後白河院御即位〉の描写から推定される制作年代 参考文献 保元の乱と平治の乱 メトロポリタン美術館蔵「保元平治合戦図屏風」(以下、メトロポリタン本と呼称)に描かれる『保元物語』と『平治物語』は、それぞれ保元元年(1156)七月の「保元の乱」と平治元年(115…
百人一首第77番目の歌の作者は崇徳院すとくいんです。 前回の藤原忠通とともに保元の乱の中心人物。 崇徳院は騒乱の敗者となります。 今回は崇徳院について紹介します。 崇徳院とは 生年1119年、没年は1164年。 第75代天皇です。 鳥羽天皇の第一皇子。 母は待賢門院(藤原)璋子たまこ。 ただ、本当の父は鳥羽天皇の父、崇徳天皇の祖父にあたる白河天皇であるとの疑惑があります。 そのためか鳥羽天皇は崇徳天皇を嫌います。 それが保元の乱の一因とも考えられています。 崇徳天皇は保元の乱に敗れ、讃岐国に配流となります。 その地で亡くなりました。 髪を伸ばし放題にし、爪を切ることもなく、生きながら天狗になっ…