会津松平氏の開祖。名君として知られる。 徳川秀忠の四男として生まれるが認知されず、見性院の養育を受け、その後保科正光の養子となる。 実父の認知は受けられなかったものの、異母兄徳川家光は正之を弟として処遇し、信濃高遠3万石から出羽山形20万石、さらに陸奥会津23万石へと引き立てた。 さらに家光の遺命により、四代将軍徳川家綱の後見として幕政に携わった。
戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。 「戦国ヒストリー」は、丁寧に歴史を追求した本格派の戦国WEBマガジンといううたい文句で、戦国時代を中心に源平時代から近現代史まで、時代もジャンルもバラエティに富んだサイトです。 sengoku-his.com 今回の掲載コラムご紹介は「徳川秀忠の隠し子だった保科正之を救った育ての父と母」です。 大河ドラマ「どうする家康」にも登場した徳川2代将軍の秀忠。正室の江は、姉さん女房でたいへんな悋気持ちだったと言われていま…
桜雲橋と桜 向こう側が本丸 by:photo-ac 121回目です。 今回は、長野県の高遠城と参りましょう。 高遠城は小さな城郭ですが、要塞堅固な名城として名を馳せた平山城でした。 残念なことに遺構はほんどありません。 しかし、旧藩士たちが植えた約1500本のタカトウコヒガンザクラで有名な、桜の花がとてもよく似合う名城です。 別称は兜山(かぶとやま)城、甲山(かぶとやま)城。 「日本100名城」(第30番)に選定、国の史跡にも指定されています。 私が高遠城へ登城したのは、2002年4月20日のことでした。 このときは、有名なタカトウコヒガンザクラを観にいくパック旅行で妻と一緒だったのですが、残…
江戸の町を壊滅させた明暦の大火 徳川幕府の元で急速に発展を遂げた江戸の町。しかしそれが実は極めて危ういものだったことが判明したのが明暦の大火。防災などという考え自体がなかった江戸の町は、江戸城を初めとして丸焼けになって10万人以上の犠牲者を出した。この事態の収拾に当たった保科正之は、ここで幕府の基本政策の大転換につながる画期的な決断を行ったという。保科正之の決断とは。 1657年(明暦3年)1月18日、「むさしあぶみ」という作家の浅井了意が書き残した記録によると、この日は北西の強風が吹いていたという。江戸では雨が降らずに乾燥した日が続いていたという。そこで異変が発生する。午後2時過ぎに本郷の本…
10年モノ間愛聴しているNHKラジオの『DJ日本史』なんだけど、なんと長野県で公開放送があるとのコトを放送内で話してて、なんで高遠なんて遠くでやるんだろ‥って思ってたけど、申し込んでいたらメールで当選返信が来た‥。やったっ!去年に長野市での『鑑定団』イベントに落選してて落胆してたのでかなり嬉しかった‥。ちなみに『鑑定団』は在宅の二人で観てるけど、『DJ日本史』はボクはジョギング中に聴いてるのでウチの助役サマは聴いてない‥。 「当たったよっ!11日日曜日明けといて‥ソースカツ丼食べてから行くかな‥」って宣言。「え~っ!」って言ってたけど、いろいろ調べてた様子で、「保科正之って知ってる?」って‥な…
「什の掟」
はじめに 土津神社 夏詣参拝🌿花手水や茅の輪くぐりも 土津神社の『星』モチーフ 美しいお守り&御朱印をいただく おわりに はじめに 先日猪苗代町の土津神社(はにつじんじゃ)を参拝しました。 土津神社は会津松平家の始祖 保科正之公を御祭神としている神社です。こちらを訪れるのは昨年秋以来。 紅葉の時期には混雑していましたが、今の時期は比較的空いていてゆっくりお参りすることができました。 土津神社 夏詣参拝🌿花手水や茅の輪くぐりも 立派。土津神社に来た!という感じで好きな風景です✨ 木々の緑が濃くなり良い雰囲気の境内。 木に壮大な穴。リスとか住んでないかな? 茅の輪くぐりをやっていました。 花手水✨…
会津若松城 by:photo-ac.com 15回目は、福島県です。 会津若松城ですね。 別称は鶴ケ(つるが)城で、当該城郭では「若松城」を正式城名としています。 2006年に「日本100名城」(第12番)に選定されました。 また、盛岡城、白河小峰城とともに東北三大名城と言われています。 いつものように、まずは歴史から。 若松城は天文7年(1538)から12年にかけて、蘆名直盛(あしな なおもり)が城郭としての体裁を整えたようです。 天正17年(1589)に蘆名氏を滅ぼした伊達政宗(だて まさむね)が居城とします。 しかし、翌18年の小田原出兵に際して豊臣秀吉に屈服、所領は没収となりました。 …
プレミアムカフェ『大江戸炎上』 司会■渡邊あゆみ(NHKアナウンサー) 解説■山本博文(東京大学史料編纂所教授) 『大江戸炎上』は2016年に製作された番組のアンコール放送である。 もともとは東日本大震災9年目当日、災害に臨むリーダー像を改めて考える意味で放送が予定されたものではなかったか?と思われるが、 新型コロナの感染拡大が懸念される現在の状況に合致していることに驚かされ、いくつか参考になる部分も多い。 www.tvu.co.jp 未曾有の危機に、リーダーは何を決断し、人々はどう生きたのか?これは、焦土となった巨大都市の再生に挑んだ「不屈の人々」の物語。 日本史上、最大最悪の火災と言われる…
もくじはこちら 第一章 大白州 第二章 海原 第一章 大白州 大白州 日置藩ではスダレが率いる一揆衆が代官所を襲った。京都奉行所東与力相沢新兵衛は一揆衆を深追いし行方不明になった。小六の背中には一揆代表者の江戸行きがなければ再び一揆をするという貼り紙がしてあった。 自首した一揆首謀者11名が江戸に向かった。江戸へ着くまでに半数近くが死んだ。江戸から戻ってきたのはたった一人だった・・・。 江戸の牢を伊丹播磨守と夢屋七兵衛が見にくる。幕府牢奉行石出帯刀が出迎える。 伊丹播磨守と夢屋七兵衛が話をする。夢屋七兵衛は、自分は始末をつけた、と言うが、伊丹は輪島修理をどうするか決めかねていた。そこへ石出帯刀…
幕末、越前国の国学者、歌人橘曙覧(たちばなあけみ)の「独楽吟」は「たのしみは艸のいほりの筵敷きひとりこころを静めをるとき」にはじまる五十二首の連作で「たのしみは~とき」という型で繰り返される。 「たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物を食ふ時」 「たのしみは朝起きいでて昨日まで無かりし花の咲くを見る時」 日常の生活でふと覚えた幸福感を素直に詠んだその詠みぶりは時代を問わず読者の琴線に触れる。このような生活のさまざまな場面で心の襞に感じたたのしみを抽象かつ窮極に表現しようとするとき古人は三つに括ることが多かったようだ。 「およそ人の楽しむべき事、三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして…
<この記事で紹介している桜スポット> 三春滝桜(福島県三春町)悠久の時を超えて咲き誇る“滝桜ファミリーの母” 紅枝垂地蔵ザクラ(福島県郡山市)伸びやかな枝ぶりと艶やかな花色が美しい“三春滝桜の娘” 五斗蒔田桜(ごとまきたさくら:福島県郡山市)安達太良山を望む丘に咲き誇る“丘の上のビーナス” 上石(あげいし)の不動ザクラ(福島県郡山市)赤い屋根の不動堂を華やかに彩るフォトジェニックなしだれ桜 水月観音堂桜(福島県郡山市)赤い屋根の観音堂とのコントラストが目を引く穴場的スポット 城ノ内古戦場の枝垂桜(福島県本宮市)戊辰戦争時の逸話が残る樹齢250年のしだれ桜 合戦場(かっせんば)のしだれ桜(福島県…
<この記事で紹介している桜スポット> 神代桜(かみよざくら:福島県会津美里町)伊佐須美神社の旧宮地で枝を伸び伸びと広げる種まき桜 文殊院知恵桜(福島県会津美里町)“筆の文殊”の境内に咲き誇る鮮やかなベニヒガンザクラ 虎の尾桜(福島県会津美里町)三重塔がある古刹に咲く、おしべが花弁化する珍しい桜 薄墨桜(福島県会津美里町)「アイヅウスズミ」の学名を持つ伊佐須美神社の愛らしいご神木 杉の糸桜(福島県会津坂下町)桜に彩られた山門や六地蔵などもあわせて楽しみたい 福満虚空蔵尊圓蔵寺(ふくまんこくぞうぼさつえんぞうじ:福島県柳津町)エメラルドグリーンの只見川と本堂、桜の組み合わせが絶景 土津(はにつ)神…
(1)地産ホテルは湘南海岸にある ち産ホテルとは変わった名前だ。 いいや印象に残るなかなか思い着かない斬新な名前だ。 それにしても目の前に広がる湘南海岸とは何と穏やかなこと。 (2)波に乗るサーフィン。時局に乗り遅れた 、 あれがサーフィンという波乗りボードか。波の傾斜に乗るなんて、雪国の私には想いも経験も無いことだ。 (3)尻高し。意気軒昂 サーフボードを運ぶ若者の尻高しという句があった。 それを言うならヒマラヤ山脈の頂きに鋸屋根を載せた少女の胸。 こう表現すればいい。 俳諧専門家の力量とはこの程度。 (4)ノコギリ屋根は工場の屋根風 日本海のノコギリのような、又白 いサメの歯のような波頭に…
見かけてはいたが、それまで立ち寄らなかった場所を訪問してみた2019年6月14日のこと…… 上目黒天祖神社から「めぐろ歴史資料館」に立ち寄り、多数の道標を拝見した後、大鳥神社に立ち寄った。本社に詣でたことはあったが、本殿左脇のこちら、大鳥神社末社である「目黒稲荷神社」は初めてだった。(今日は歴史資料館の道標は未掲載) ちなみに、目黒稲荷の御祭神と御神徳は……「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」福徳円満、商売繁盛、諸病平癒、農業諸産業の神「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」災難、疫病避けの神「火産巣火神(ほむすびのかみ)」日の幸いを恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い覗く、火防開運の神「水速女命(みつは…
日本史 今日は日本史を学習した。 江戸時代の文治政治について。 江戸時代の初期~約50年間は、「武断政治」が続いた。 家康、秀忠、家光の時代。 武断政治と言うのは、武力で威圧し、統制する政治であった。 しかしこのように政治により、牢人やかぶき者が増加。 牢人とは、大名を失った部下。大名がクビになったら、部下も仕事がなくなる。 そして、かぶき者とは、あらくれ者のことである。 それにより、社会は不安に包まれていた。 1651年、由井正雪が慶安事件を起こす。いや、起こそうとするも幕府に見つかってしまう。 幕府の武断政治に対する反乱であったが、未遂に終わった。 4代目の徳川家綱の時代。 世の中が少し変…
この旅行3日目の朝は雨空。 昨日は、ホテルのロビーから猪苗代湖が見えていましたが、今朝はガスの中です。 天気が悪いのと、膝も悪化してきたので、今日はスキーはしないで観光することにしました。 チェックアウト後、直ぐ近くの土津(はにつ)神社へ。 この神社は、会津藩・初代藩主の保科正之公を祀っており、創建当初は日光東照宮と比較されるほど豪華絢爛だったそうです。 しかし、戊辰戦争で焼失したため、現在の社殿は再建されたもの。 創建当時の姿を見てみたかったものですね。 次に訪れたのは、車で40分ほど走ったラーメンの町・喜多方へ。 会津喜多方ラーメン館でお土産を買い、車を停めさせていただき、観光しました。 …
<この記事で紹介している桜スポット> 春が遅い高原の町で多彩な桜スポットを満喫しよう 観音寺川の桜並木(福島県猪苗代町)緑の土手と清流を彩る桜。カラフルなライトアップも必見 白津(しろづ)のしだれ桜(福島県猪苗代町)墓地を守る巨大な一本桜のように見える荘厳な桜群 亀ヶ城公園(福島県猪苗代町)明治時代に町民有志が植えた約500本の桜が城跡を彩る 土津(はにつ)神社(福島県猪苗代町)境内に咲き誇る愛らしいタカトオコヒガンが見どころ 猪苗代町営磐梯山牧場(福島県猪苗代町)残雪の磐梯山を望む桜並木や白樺と桜の共演が魅力 天鏡閣(てんきょうかく:福島県猪苗代町)白亜の洋館に華やかな彩りを添えるソメイヨシ…
3時半起床、そう寒くはない、昇降台左右50回スクワット手を伸ばして20回、 暖冬だ、スキー場、桧原湖のわかさぎ穴釣り、猪苗代湖の飛沫氷、皆ダメだ。 歌会始め、天皇はこう詠まれた 日本ほど天皇中心で歴史を作った国はない、特に激動の明治・大正・昭和・平成・令和いずれも天皇も国民をいたわった。 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は20日、小型月着陸実証機「SLIM(スリム)」が月面着陸に成功したと発表した。旧ソ連、米国、中国、インドに続く世界5カ国目の快挙。日本の探査機が地球以外の天体への着陸に成功したのは、2005年のはやぶさ(小惑星イトカワ)、19年のはやぶさ2(小惑星リュウグウ)に続き3例目。 …
お待たせしました、第六回お笑いマスコミグランプリ、開幕です! 本日の投稿動画 www.nicovideo.jpyoutu.be 注意 ・この動画は「マスコミ問題」を扱っています・「マスコミ問題」であり右派・左派等の陣営論争は本題ではありません・「特定の国との特別な関係」は問題の枝葉です、主問題は業界の体質です・自身の常識が相手にとっても常識とは限りません、「他者がそれを見たらど う思うか」という客観性を常に持ちましょう。・日常生活で注意する程度には言動に注意を心がけてください・リクエストは原則受け付けていません・引用ソースへのリンクが同時掲載のブログにあります・毎週土曜日更新 ※以下は動画のテ…
暦の誤差が社会的問題に 現在では太陽暦が用いられているが、昔から暦は不可欠なものであった。古来中国では暦を制定するのは皇帝の仕事であり、日本でも朝廷が中国から輸入したものを使用していた。戦国時代にその暦を変えようと目論んだのが織田信長だが、それは果たせないままに本能寺で果てた。そして江戸時代、幕府と朝廷を巻き込んでこの暦を変えるという大事業に挑んだのが渋川春海である。 渋川春海 江戸時代に使用されていた暦には日食や月蝕の予報が記されていた。それは朝廷などではこれらは不吉とされ外出が禁じられたからである。しかし江戸時代にはこれらの予報が外れることがしばしば起こっていた。当時使用されていたのは唐の…
武士というのはすぐ死ぬ。武士は長い間この国の主権者でありながら、基本的に賤民であり、自らを賤しめていたことが、武士を死に向かわせていたようである。そのいい例が切腹である。武士は死ぬのにわざわざ腹を切る。大河ドラマなどでもよく観る光景だが、わざわざ腹を切ってから頸動脈に刃を当てたりすることもある。死ぬなら頸動脈を切った方が簡単に死ねるのだが、武士はわざわざ腹を切る方を選ぶ。実際には腹を切ると、死ぬまでに時間がかかるらしい。この合理的とは言えない死に方が、武士にとってのひとつの死に様となった。 武士のもう1つの特徴として、殉死がある。主君が死ぬと、家臣がその後を追って切腹するのである。殉死は武士の…
1585(天正13)年の筒井氏伊賀転封と豊臣秀長の大和入国により、大和では中世的な国人支配の残滓が一掃され、中央武家政権による一元的支配が行き渡る近世が本格的に始まります。 1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い、そして1614~1615(慶長19~20)年の大坂の陣と相次いだ戦国末期の大戦で、多くの大和国人が敗者の側に付いて姿を消し、勝者の側に付いた者も、その多くが郷土である大和に留まることはできませんでした。 戦国時代が終わり、大和国人の末裔たちはどうなっていったのでしょうか。 大坂の陣後の大和 大和へ入った他国衆 天領の支配 大和を離れた国人の子孫たち 茶道の家となった古市氏 造り酒屋で身を…
膨張が止まらないのが大阪・関西万博を巡る諸費用に『余録(231223)』は思う▲始まったら止まらない公共事業にブレーキがかけられた事例▲1657年「明暦の大火」で天守閣が焼失したため幕府は再建を図り、加賀藩の普請で天守台を築いた。ところが、保科正之は「天守閣はもともと実用的なものではない。今、人力を費やすべきではない」と意見し、建造は見送られたと▲会場建設費が2350億円、今度は運営費が1160億円に。国費による負担分は1647億円に▲別に関連のインフラ整備費が9・7兆円、8390億円分が万博に直接関係すると▲予算を削る具体策は見えない▲着工後であっても方針を見直すくらいの柔軟さ、大胆さが必要…