「生起本末」を聞くということ 他力回向の慈悲に抱かれて 浄土真宗の教えを仰ぐなかで、「仏願の生起本末を知る」ことと「他力回向の話を聞く」ということを聞きます。これらの言葉の意味を考えてみます。、これらは表現こそ違いますが、指し示している真実は一つ、すなわち「阿弥陀仏の救いそのもの」です。 一、仏願の生起本末:法蔵菩薩の願い 「生起本末」とは、物語の始まりから終わりまでを意味します。それは、遥か古の昔、法蔵菩薩という一人の修行者が、私たちの苦しみをご覧になったところから始まります。 生起(なぜ願われたのか) 法蔵菩薩は、自力ではどうしても煩悩を断ち切れず、迷いの世界から抜け出せない私を見て、「こ…