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信濃の国

(音楽)
しなののくに

長野県の「県歌」。浅井洌・作詞、北村季晴・作曲。
文語体の難しい歌詞にも関わらず、歌えない県民の方が少ない。学校の音楽教育の場でも教えられるので小学生でも歌え、また高校の同窓会などで校歌より「信濃の国」の方が歌われるほど、県民・県出身者に親しまれている。
作詞された明治時代当時の長野県の地理・産業・観光・文化・偉人などが歌いこまれている。6番まであり、4番だけメロディーが異なる。
以前、中南信地域が独立を求めた「分県案」が県議会で可決されかけた際、議場を取り巻いた県民が「信濃の国」を合唱したため分県派議員が心動かされて、同案は否決された*1―という逸話があるほど、地域間の仲が悪い長野県をまとめる力が強い。さらに言えば、この歌がなければ長野県は今頃分裂していたとも言える。
1900年(明治33年)の成立より長く「実質的な」県歌として歌われてきたが、1968年(昭和43年)に正式に長野県歌として制定。
浅井・北村両先生が教鞭を執った長野師範学校の流れを汲む信州大学教育学部の、附属長野小学校の校歌にもなっている。

歌詞

1、
信濃の国は 十州に
境連ぬる国にして
聳ゆる山は いや高く
流るる川は いや遠し
松本 伊那 佐久 善光寺
四つの平は 肥沃の地
海こそなけれ 物さわに
万ず足らわぬ 事ぞなき 

2、
四方に聳ゆる山々は
御獄 乗鞍 駒ヶ岳
浅間は殊に 活火山
いずれも国の 鎮めなり
流れ淀まず ゆく水は
北に犀川 千曲川
南に木曽川 天竜川
これまた国の 固めなり

3、
木曽の谷には 真木茂り
諏訪の湖(うみ)には 魚多し
民のかせぎも 豊かにて
五穀の実らぬ 里やある
しかのみならず 桑とりて
蚕飼いの業の 打ちひらけ 
細きよすがも 軽からぬ
国の命を 繋ぐなり

4、
尋ねまほしき 園原や 
旅のやどりの 寝覚ノ床 
木曽の桟(かけはし) かけし世も 
心してゆけ  久米路橋 
くる人多き 筑摩(つかま)の湯 
月の名に立つ 姨捨山 
しるき名所と 風雅士(みやびお)が 
詩歌に詠みてぞ 伝えたる

5、
旭将軍義仲も 
仁科の五郎信盛も 
春台太宰先生も 
象山佐久間先生も 
皆此の国の 人にして 
文武の誉 たぐいなく 
山と聳えて 世に仰ぎ 
川と流れて 名は尽きず

6、
吾妻はやとし 日本武(やまとたけ)
嘆き給いし 碓氷山(うすいやま)
穿つ隧道(トンネル) ニ十六
夢にも越ゆる 汽車の道
みち一筋に 学びなば 
昔の人にや 劣るべき 
古来山河の 秀でたる 
国は偉人の ある習い

歌われる場面の例

  • 長野オリンピック開会式の入場行進
  • 長野県庁の仕事始め
  • 高校の同窓会
  • 宴会の締め
  • カラオケ
  • 着メロ
  • ダンス

…などなど

*1:フィクションであるとの説もある

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