倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)
1183年、加賀国・越中国の国境である砥波山付近倶利伽羅峠において源義仲軍と平教盛・平維盛率いる平家軍との間で戦われた治承・寿永の乱における戦いの一つ。砺波山の戦いともいう。義仲は平氏軍を狭い倶利伽藍峠に誘い込み、平家10万の大軍を破った。(源平盛衰記)等に牛の角に火のついた松明をくくりつけ敵陣に放ち、平家軍を倶利伽羅谷に追い落とした、との記述がある。この戦いで源平の勢力は逆転、義仲は入洛を果たし、平氏一門都落ちすることになる。
「木曽義仲ってどんな人?」 「"木曽の最期”はどんな内容?」 「木曽義仲と今井四郎、巴御前の関係は?」 この記事をご覧の方はそんな疑問を持っているかもしれません。 木曽義仲は通称で、本名は源義仲といいます。 鎌倉幕府を開いた源頼朝の従兄弟で、以仁王の令旨に応じて挙兵します。 木曽義仲は倶利伽羅峠の戦いで牛の角に松明をつけて平氏軍を驚かし、10万の平氏軍を蹴散らしました。 しかし、後白河法皇との関係が悪化したことで同じ源氏の源義経の軍と戦い敗北します。 敗北を悟った木曽義仲は愛妾の巴御前を逃がすと、忠臣今井四郎とともに最後の戦いをします。 それを描いたのが『平家物語』の「木曽の最期」でした。 平…