正月、叔父(三男)の家に集まる習慣があった。 子の頃 疎開中に焼野原となり身寄りがない母は、 叔父家族と暮らしていたので里帰りのようなもの。 叔父は満州から帰った人(大変な苦労人)で、 叔母は空襲警報で防空壕に逃げ込んだ世代。 (私が小学生の頃まで東京に防空壕跡があった) 「東京大空襲の時は隅田川に飛び込んだ人が多数」と、 変な話、あっけらかんと 語っていたのが印象的だった。 空襲警報も頻繁だと慣れちゃうような事も言ってた。 資産もなく 身体一つで逃げていたというから、 豊かで物にあふれた今とは感覚が違うのかも。 そういや隣国からミサイルが発射された数年前、 それなり責任ある立場で緊張感をもっ…