光厳天皇の院号。 一般的な情報は、 →光厳天皇
後醍醐天皇によって廃位にされてしまったが、天皇に反旗を翻し大義名分を欲した足利尊氏によって擁立される。 尊氏が南朝方を破って京に上ると同母弟・光明天皇を皇位につけ院政を開始し、崇光天皇の代まで治天の君として政治を行う。 しかし、観応の擾乱の折、正平一統で尊氏が南朝方と和睦してしまい光厳上皇による院政は停止。その後、正平一統が破談となった時に足利義詮らに取り残され5年ほど南朝方に軟禁される。
*1:北朝断絶の危機につき非皇族が代理。