ジャーナリスト、小説家。1932年、熊本市生まれ。2004年死去。 熊本大学法文学部卒業後、熊本日日新聞社に入社。編集局次長や論説副委員長を務める。 熊本日日新聞社情報文化センター社長を経て、1985年から1995年まで、県立熊本近代文学館初代館長。 1982年『機雷』で第八十六回直木賞を受賞。
20201202Wednesday 7:00起床。今朝は5:25に手洗いへ行った。 洗濯。晴れ。家内ON。家内は5:45のアラームで起きた。Kは6:00に起きる気配はなかった。 出勤したのは7:00。ろくに喰わずに起きぬけて出勤したようだ。 Kの昨夜のバイトがえりは23時過ぎだった。 8:30PC BLOG。 8:50散歩。北CCW。北関戸、関戸、甚平坂、鴨田、安原、下岡、花の木、土々ヶ根。 9:40帰宅。 9:55まずエコセンターへリサイクルごみを持ち込む。 図書館へ向かう。借り換え。先回借りたのはほとんど読めず・・・。 今回は、向田邦子・光岡明・北原亞以子。 VDRUG、オロナイン軟膏、メ…
本稿の読者(そんな人いるのかな、と想いつつ)はなんとなく気配を感じてもらっているかもしれませんが、筆者は通商路を巡る海軍のあり方に大変興味があり、その流れで通商路保護の主役である「小艦艇」が大好きなのです。 ここで、小艦艇を総まとめ。 小型駆逐艦(二等駆逐艦・水雷艇) 二等駆逐艦 「二等」と付くと、なんとなく派生系・補助系の艦種の様に見えてしまうのですが、実はこちらが駆逐艦の本流だ(であるべきだった、と言うべきでしょうか)と、筆者は思っています。 本稿でも何度か触れてきた事ですが、日本海軍は「艦隊決戦」をその艦隊設計構想の根幹に持ち続けてきました。幸い(?)、日本という国は海外に大規模な植民地…
本稿では、前回、最近の制作コレクション紹介の流れで、機雷敷設艦「厳島」急設網艦「白鷹」が登場しました。 本稿では何度か触れているように筆者はこうした小艦艇が大好きで、これ迄、折を見てこういった模型の収集をしてきたのですが、そもそもがマイナーな艦種で、かつ日本海軍に限定した場合にはなかなか製品が流通しておらず、かなりの部分が入手困難という状態です。 ラインナップの充実に一応の限界を見た、というわけで、この辺りで日本海軍の機雷戦用艦艇(敷設艦・敷設艇・掃海艇)を一覧しておきたいと思います。 (掃海艇の稿は、ほぼ再録です。ご容赦を) 今回はそんなお話です。 まずその前に、コレクションのリソースについ…
(その1) 防護巡洋艦の系譜 さて、今回は艦船模型サイトらしく(胸を張って、いうんじゃない!・・・おっしゃる通りです)、日本海軍の巡洋艦開発(装甲巡洋艦・巡洋戦艦は主力艦として既に紹介済みなので、それ以外)を辿るシリーズの第一回です。少し細切れに、6回程度のシリーズにする予定ですが、今回は、これまでにすでに紹介した内容の再録もあるので、日本海軍成立からの防護巡洋艦を一気にご紹介。 日本帝国海軍の防護巡洋艦 本稿ではこれまで何度も触れてきたので、「またか」の感はあるかとは思いますが、防護巡洋艦は基本、舷側装甲を持たず、機関部を覆う防護甲板により艦の重要部分を防御し、舷側の防御は石炭庫の配置に委ね…
このミニ・シリーズでは、 これまで、日本海軍の巡洋艦の建造の推移を見てきましたが、簡単にまとめると、黎明期の日本海軍の主力を構成し、やがては育成された主力艦の補助戦力となった防護巡洋艦の時代。それに続き、魚雷の性能向上と駆逐艦の高速化の流れの中での軽装甲巡洋艦(軽巡洋艦)への発展が見られました。そして軽巡洋艦を凌駕しこれを制圧するべく重装備巡洋艦(重巡洋艦)が現れ、この高性能化がやがては軍縮条約の条項追加へと結びつき、その制約下で条約型巡洋艦が設計されました。 これらの条約型巡洋艦として生まれた巡洋艦群は、条約の破棄後は重巡洋艦となりました。 今回は、その最終回として、その後、日本海軍の終焉ま…